生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信745 ・ひめゆり学徒隊が語る「平和」

2010-12-21 06:21:09 | 日記
おはようございます。小沢一郎氏の国会招致拒否に対して、朝日、読売など大手メディアは本日の社説でいずれも「民主党執行部は何をしておる」と叱咤激励しています。検察の怪しい筋書きの上にでっちあげる論説。メディアはいつまでこんな茶番を続けるつもりなのでしょうか。
生き生き箕面通信745(101221)をお届けします。

・ひめゆり学徒隊が語る「平和」

 「夜、砲撃が止んで静かになると、なんともいえない音があちこちから聞こえてきました。まだ生きている人間の傷口にわいたウジが、傷口の肉を食べている音だったのです。やせこけた兵隊とコロコロ太ったウジ。ぽつぽつといるのではありません。傷口いっぱいにたかっているのです」

 「ひめゆり平和祈念資料館県外巡回展」の講演会(19日)が開かれ、元ひめゆり学徒隊の宮城喜久子さん(82)が淡々と、しかし「これだけは伝えておきたい」という気持ちが伝わってくる語り口で話しました。巡回展は今週末の26日(日)まで、芦原橋のリバティホール(大阪人権博物館)で開かれています。

 第2次世界大戦の末期、アメリカ軍が沖縄に上陸する戦場の陸軍病院に240人の教師・生徒が動員され、うち227人が死亡。そのうち136人がひめゆり学徒隊員だったそうです。

 陸軍病院といっても、ガマと呼ばれる洞窟で戦場の真っただ中。病院壕の中は血と膿と排泄物の悪臭が充満し、負傷兵のうめき声が絶えない。

 「兵隊の中には、手りゅう弾をもって夜、暗い中を米軍内にもぐりこみ、みずから犠牲になって攻撃する特攻作戦も行われた。イラクなどでの自爆テロと同じことを、日本軍がすでに大がかりに やっていた」

 「軍医殿が『足が腐って壊疽(えそ)になったから、大腿部から切断する』といわれるのですが、麻酔はろくにありません。何人もがかりで無理やり押さえつけて切り落とす。その生温かい足をかかえて壕の外に捨てに行かされるのも私たちでした」

 「最後は沖縄最南端の荒崎海岸まで追いつめられ、そこでも砲撃されました。『眼が痛いよう』という先輩は両眼が飛び出して血を流していました。砲弾の直撃で肉片だけになって飛び散った友人」

 「日本は立派な戦争を戦っており、必ず勝つと教えられて、そう信じていました。しかし、学友を失ってはじめて、戦争の本当の恐ろしさ、くだらなさを思い知りました」

 「ひめゆり学徒隊の生存者は今年、最も若い人で81歳。次の世代が生きていける社会を作るのが私たちの責任だと思っています。戦後復興し、発展することができたのも戦争がなく、平和だったからです。戦争はおろかです。勇気を出して平和を作り出す。そういう勇気を出していただきたい」