お早うございます。わが家の小さな庭につくしが顔を出しました。
生き生き箕面通信485(100331)をお届けします。
・”素晴らしい”日本の警察
日本の警察がこんなにも”素晴らしい”とは、と改めて脱帽です。昨日3月30日、警視庁の青木五郎という”優秀な”公安部長さんが記者会見を開き、国松孝次警察庁長官銃撃事件の公訴時効について「オウム真理教のグループが組織的に敢行したテロだった」と断定しました。
この記者会見を昨日の夕刊で報じた読売新聞は、元最高検検事で現在は筑波大名誉教授(刑事法)の土本武司氏から、「警察には捜査権はあるが、犯罪を裁く権利はない。時効が完成した事件で、充分な証拠がないのに捜査報告書を公表したり、『組織的、計画的テロ』と言ったりしても公益にかなうとは思えない」というにコメントを得て掲載しました。
今朝の朝日は社説で取り上げ「警察は犯罪を捜査する機関であって、裁判所ではない。だれに対してであろうと、弁護や反論の機会も与えずに一方的に有罪を言い渡すことはできない」と批判。さらに「『捜査はここまで肉薄したんだ』と発表することで、なんとか対面を保とうとした。そんな身勝手な組織の論理が働いたと疑われても、仕方あるまい」と断じました。
この会見について中井洽国家公安委員長は記者会見で「悔しさもにじみ出ていると思う」と述べました。なんたる”素晴らしい”見識!さすがホステスさんと「路上チュー」を週刊誌で知られてしまった警察のトップだけのことはあると思われませんでしょうか。
オウム真理教を弁護するつもりはさらさらありません。刑事事件の根幹について考えているのです。
憲法31条は「何人も法律の定める手続きによらなければ、その生命もしくは自由を奪われ、またはその他の刑罰は科せられない」と規定しています。近代刑事法の基本原則は「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」と、「推定無罪」の原則を確立しました。裁判では「疑わしきは罰せず」です。
日本ではこの原則は、警察あるいは検察によって、さらに”進化”させられつつあります。
さきに小沢幹事長の「不起訴」は、「限りなくクロに近い」として今も”人民裁判”が続き、読売や朝日もこれに加わって、「推定無罪」などどこ吹く風です。日本では、風や空気によって事が決せられます。太平洋戦争に突入した時も「当時の空気ではとても戦争に反対することはできなかった」という言い訳ですべて済ませられました。
小泉旋風となればドドッと小泉チルドレンが生まれ、政権交代風が吹けばドドッと別のチルドレンが生まれる政治風土、あるいは国民性でしょうか。公安部長さんをはじめとする警視庁幹部は「推定無罪を吹き飛ばす”進化”の風」のなかにいるだけで、何も批判される筋合いはないということなのでしょう。日本は素晴らしい国へと”進化”しつつあり、ご同慶のいたりです。
生き生き箕面通信485(100331)をお届けします。
・”素晴らしい”日本の警察
日本の警察がこんなにも”素晴らしい”とは、と改めて脱帽です。昨日3月30日、警視庁の青木五郎という”優秀な”公安部長さんが記者会見を開き、国松孝次警察庁長官銃撃事件の公訴時効について「オウム真理教のグループが組織的に敢行したテロだった」と断定しました。
この記者会見を昨日の夕刊で報じた読売新聞は、元最高検検事で現在は筑波大名誉教授(刑事法)の土本武司氏から、「警察には捜査権はあるが、犯罪を裁く権利はない。時効が完成した事件で、充分な証拠がないのに捜査報告書を公表したり、『組織的、計画的テロ』と言ったりしても公益にかなうとは思えない」というにコメントを得て掲載しました。
今朝の朝日は社説で取り上げ「警察は犯罪を捜査する機関であって、裁判所ではない。だれに対してであろうと、弁護や反論の機会も与えずに一方的に有罪を言い渡すことはできない」と批判。さらに「『捜査はここまで肉薄したんだ』と発表することで、なんとか対面を保とうとした。そんな身勝手な組織の論理が働いたと疑われても、仕方あるまい」と断じました。
この会見について中井洽国家公安委員長は記者会見で「悔しさもにじみ出ていると思う」と述べました。なんたる”素晴らしい”見識!さすがホステスさんと「路上チュー」を週刊誌で知られてしまった警察のトップだけのことはあると思われませんでしょうか。
オウム真理教を弁護するつもりはさらさらありません。刑事事件の根幹について考えているのです。
憲法31条は「何人も法律の定める手続きによらなければ、その生命もしくは自由を奪われ、またはその他の刑罰は科せられない」と規定しています。近代刑事法の基本原則は「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」と、「推定無罪」の原則を確立しました。裁判では「疑わしきは罰せず」です。
日本ではこの原則は、警察あるいは検察によって、さらに”進化”させられつつあります。
さきに小沢幹事長の「不起訴」は、「限りなくクロに近い」として今も”人民裁判”が続き、読売や朝日もこれに加わって、「推定無罪」などどこ吹く風です。日本では、風や空気によって事が決せられます。太平洋戦争に突入した時も「当時の空気ではとても戦争に反対することはできなかった」という言い訳ですべて済ませられました。
小泉旋風となればドドッと小泉チルドレンが生まれ、政権交代風が吹けばドドッと別のチルドレンが生まれる政治風土、あるいは国民性でしょうか。公安部長さんをはじめとする警視庁幹部は「推定無罪を吹き飛ばす”進化”の風」のなかにいるだけで、何も批判される筋合いはないということなのでしょう。日本は素晴らしい国へと”進化”しつつあり、ご同慶のいたりです。