生き生き箕面通信

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生き生き箕面通信754 ・遠山の金さんによる「デモクラシー裁判」の終焉

2010-12-30 07:26:32 | 日記
おはようございます。「検察に脚本家まで居るらしい」(よみうり時事川柳より)
生き生き箕面通信754(101230)をお届けします。

・遠山の金さんによる「デモクラシー裁判」の終焉

 私たち日本人は、ずっと「遠山の金さん」が好きでした。「この桜吹雪が見えねえか」と、お白州に引き据えた犯人にとどめをさすシーンに喝采を送り、胸の内をスッとさせていました。ところが、ここに猛毒が仕込まれていたのです。

 現代に映して見ると、遠山の金さんに当たるのが検事です。だから、検事が起訴すると、それだけで有罪が確定したように錯覚してしまうのです。繰り返し「金さん」を見たりしているうちに、金さんという捜査機関が一転、お裁きの場で裁判官も兼ねるシーンを当たり前、「裁判はそんなものだ」と頭の中に刷り込まれてしまいました。

 例えば、かつての田中角栄・ロッキード裁判がそうでした。「検事が角栄に懲役5年を求刑するや否や、社会党は浮かれ出して、何と提灯行列で練り歩く始末である」。こう指摘するのは、小室直樹さん。

 小室さんは、時に奇矯な振る舞いがあったことから、「奇才」とされましたが、知る人には「世紀の大天才」と認められていました。東大で法学博士号を得、フルブライト留学生として米国ミシガン大学で計量経済学を学び、マサチューセッツ大学ではサムエルソン博士(ノーベル経済学賞受賞)から経済学を学んでPh.D(博士号に相当)を取得。ハーバード大大学院ではさらに理論経済学や心理学、社会学を修めました。

 その小室さんは、「田中角栄の遺言」という書を出し、その中でロッキード裁判そのものが、嘱託尋問というインチキな手法で始まり、反対尋問なしという憲法違反のでっちあげで裁断されたもの。結論として、「田中角栄は無罪」と明快に断定しています。さらに、「日本でデモクラシーを信奉するならば、今こそ角栄がさん仰される」と、角栄を高く評価しています。

 「国難の時代にあっては、政治家の胆力は大きな水がめのように、並はずれたスケールのものでなくてはならない。田中角栄よ、再び出でよ。その声が、国民の間に澎湃として高まらんこと、それを、ただ祈るのみである」と、結んでいます。

 小室さんは今年9月、どういうわけか急逝しました。78歳。最近、復刻版が「日本いまだ近代国家に非ず」(ビジネス社)の題名で出版されました。副題は「国民のための法と政治と民主主義」です。

 生前、「デモクラシー(民主主義)に対する正しい理解がされない限り、何回でも、同じ繰り返しをすることになるでしょう」と言っていたそうです。確かに今、小沢問題はまさに同じことの繰り返しです。かつて社会党が検察の起訴を拍手喝さいしたのと同じことを、朝日や読売新聞、NHKなどのテレビ各社などマスメディアがやっています。そして「推定無罪」の原則もなんのその、1年以上にわたって執拗に人民裁判を続けています。その上に乗って民主党の菅、岡田、前原、枝野、蓮舫といった人間が、何としてもお白州(国会招致)に小沢氏を引き出そうとしているのです。

 顧みると、日本人の裁判感覚はいまだに江戸時代、遠山の金さんの時代と対して変わらないといっても言い過ぎではありません。検察が起訴すれば、それでただちに「有罪」と確信してしまうのが証明しています。それが、日本の政治のレベルをいつまでも世界水準に達せないブレーキにもなっています。