生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

1925 ・台湾の民主主義は、中国の圧力を跳ね返せるでしょうか

2014-03-31 09:43:00 | 政治

お早うございます。
生き生き箕面通信1925(140331)をお届けします。

・台湾の民主主義は、中国の圧力を跳ね返せるでしょうか

 警官隊の力を使って立法院(国会)占拠を排除するか、それとも馬政権が学生側の要求を入れて、問題の「中台サービス貿易協定」の審議をやり直すか、それとも第三の解決の知恵を紡ぎだせるか。台湾情勢はいよいよ煮詰まってきたようです。

 主催発表で50万人以上、警察発表でも11万6千人という大規模な昨日3月30日のデモは、集会も、デモも平和的に行われた、と各紙が伝えています。行動に参加している一人ひとりが、高い民主主義を実行しようとする意識を持ち合わせているようです。沖縄の大衆行動が、高い民主主義意識に支えられているのに似た感覚を覚えます。

 馬英九総統は、学生側の要求に歩み寄る姿勢も見せているようですが、学生側は「馬英九やめろ」の要求も掲げ、折り合いがつきそうにありません。

 台湾の併合を核心的国益とする中国も、裏ではさまざまに働きかけを強めているものと見られます。台湾の学生の要求は、自由が大幅に制限される中国共産党の支配に対する恐怖が底流にあると感じます。つまり、馬政権は、中国の傀儡政権という意識があるようです。この中国の意向を受けた勢力は、デモ隊の中にも紛れ込み、何か仕掛けをするのかもしれません。

 中国側は、馬政権が安易に後退することは認めないでしょう。それを承知している馬政権は、結局、力による制圧、つまり権力が持つ暴力装置の発動、それは警察部隊であったり、直接軍隊であったりでしょうが、力による排除、鎮圧に進むように思われます。

 中国共産党政権は、自国のチベット、あるいはウイグル自治区では、徹底的な情報統制のもと、チベット人あるいはウイグル人を徹底的に痛めつけ、力で抑え込んでいます。

 日本では半世紀以上前に、全国から人々が結集し、国会周辺を埋め尽くした「60年安保反対闘争」がありました。「戦争に繋がる安保条約反対」をメインに、アメリカへの従属に異を唱える反米闘争の色合いが強い大衆行動でした。これは、安保条約成立と同時に、学生団体は「大衆運動の挫折」という形で敗北的に総括されました。労働団体は、総評とい全国組織が「連合」という組織に解体吸収されていく過程で、権力側の補完組織に変貌してしまいました。

 日本の場合は、民主主義意識の未成熟が大きな要因だったといえるのではないでしょうか。それは今も、大衆行動が有効に機能せず、苦しみもがいている原因として引きずっている。

 その点、台湾の今回の大衆行動は、突如、素晴らしい形で立ち現れたように見えます。台湾ではなぜ、質の高い運動が実現できているのか。

 沖縄では、米軍基地との戦いのなかで、住民一人ひとりが意識を高めていかざるを得なかった。闘いの中でおのずから身に着けた民主主義の本質。それが、粘り強い闘いを支えているのだと評価します。

 台湾でも、長い両岸(台湾と中国本土)の緊張関係の中で、一人ひとりが自分の国はどう守るか、考え続け、高い民主主義意識に結実してきているのではないかと推察します。

 問題は、今回の馬政権の暴走を、どのようにコントロールして安全速度に落ち着かせるか。本当の民主主義度が試される局面を迎えています。

 


1924 ・ひたすら「天皇制ニッポン」をめざすアベノポリティクス

2014-03-30 08:24:16 | 政治

お早うございます。
生き生き箕面通信1924(140330)をお届けします。

・ひたすら「天皇制ニッポン」をめざすアベノポリティクス

 経済を成長させようとする「アベノミクス」に対し、安倍流の「この国のかたち」を実現しようと政治課題で暴走を始めたのが「アベノポリティクス」というべきものだそうです。

 政治学者の御厨貴・放送大教授が、このアベノポリティクスという語で表現する3本の矢とは、「靖国参拝」「歴史認識」「集団的自衛権」にほかならない、と断言しています。

 読売新聞の本日3月30日付け朝刊が一面で、御厨氏の「次の『3本の矢』」という論考を載せています。そのなかで気になったのは、靖国参拝に対する若年層の意識変化です。

 御厨氏は、「靖国参拝後も安倍首相の支持率は下がらず、若年層には『なぜ日本の首相が靖国神社を参拝することに、他国がとやかく言うのか』『それは内政干渉だ』とする文脈から、中韓や米国に反発する機運が出てきた」と、見ています。

 そうした空気が出てきたのは、「歴史的無知のなせる業ではない。歴史を理解したとしても、彼らは気分として納得できない。始めに『内政干渉』ありきなのだ」と、指摘。

 若い人々の中から、「他国にとやかく言わせない」「とやかく言われたくない」という気分がふつふつと湧き上がってきているという見方です。ナショナリズムの着実な台頭といえます。ソチ・オリンピックで、日の丸が揚がると、「ニッポン、ニッポン」コールで、いつの間にかナショナリスト気分に染まっています。

 他国の人を「出ていけ」「殺すぞ」と激しい言葉で侮蔑するヘイト・スピーチも、若い人が中心です。先日は、サッカーの応援団が「ジャパニーズ・オンリー」(日本人以外は出ていけ)の横断幕を掲げたことで、無観客試合という前代未聞の処分を受けました。

 安倍首相には、「よし、いけるぞ」という自信になっているようです。第二次安倍政権発足にあたっては低姿勢でスタート、「戦後レジームからの脱却」という最もやりたいことを我慢してきましたが、いよいよその封印を解くことにしたようです。その端的な現れが、「靖国参拝」でした。

 安倍首相の頭の中に、「主権在民」ではなく、「天皇を戴くみずみずしく美しい国」のイメージであることが明瞭になってきました。平成天皇自身は、現在の主権在民、そして象徴天皇であることに徹しようとしているにもかかわらず、安倍首相は天皇の意向など意に介することなく、「天皇制への移行」をもくろんでいるように見えます。

 「アベノポリティクス」はあまり大きくは取り上げられていませんが、着実に日本の姿を変えつつあります。中国や韓国などが批判を強め、アメリカも警戒感を隠さなくなってきたのには理由があります。

 私たちが問われているのは、「私たち自身が、どんな国柄を望むのか」であり、そこをじっくり考え見る必要があります。

 


1923 ・沖縄県知事選に鳩山元首相が出馬?

2014-03-29 07:54:11 | 政治

お早うございます。
生き生き箕面通信1923(140329)をお届けします。

・沖縄県知事選に鳩山元首相が出馬?

 沖縄の政治状況は、11月に予定される県知事選をにらんで早くも前哨戦が始まりました。今月中旬、民主党の沖縄県連代表、喜納昌吉・参院議員が鳩山由紀夫・元首相に会い、「知事選出馬を要請した」と、記者会見で明らかにしました。

 鳩山氏は、「あり得ない」と否定したそうです。

 自民党・沖縄県連は本日3月29日に、西銘恒三郎・衆院議員を会長とする新執行部を発足させ、候補者選びに取りかかる段取りです。ただ、現知事の仲井間弘多氏が自身の進退を明らかにしていないため、実際には動きようがありません。

 安倍政権は、普天間米軍基地の辺野古への移設を進めるべく、海底地質のボーリング調査を入札にかけています。来春には実際に埋め立て工事を始めたいと考えており、当面、仲井間知事との密接な協力を必要としています。

 他方、野党側は、翁長雄志・那覇市長の擁立を考えているようです。

 朝日新聞は本日の朝刊4面で、「辺野古攻防 次は知事選」の見出しで、「辺野古移設への批判を軸に力を結集したい野党側は、従来型の『革新共闘』はしないと決定。辺野古反対を掲げる保守系の翁長雄志・那覇市長の擁立を視野に入れる」と、報じました。

 安倍政権は、何が何でも辺野古への移設を強行する構えです。沖縄の人々がこれまで何度も県民大会を開いて、「辺野古への移設は止めていただきたい」と、はらわたから絞り出すような思いを訴えても、安倍首相は聞く耳を持ちません。「沖縄の負担軽減のためには、辺野古移設が欠かせない」の一点張りです。

 このままアベノホースという暴走馬が暴走し続ければ、血が流れるのは目に見えています。辺野古の現地で何千日も座り込みを続けてきたのは、年寄りが中心です。雨の日も、風の日も、お爺ちゃんやお婆ちゃんが中心になって、あるいは主婦が時間の許す限り、座り込みを続けてきました。

 前回、2004年に実施しようとしたボーリング調査を断念させたのは、こうした年配者の力が大きな役割を果たしました。今回、政府側は菅義偉・官房長官を中心に防衛省、警察、海上保安庁がチームを組み、強硬策を含め”秘策”を練っています。「同じ失敗はしない」と、固い決意です。

 ボーリング調査が行われる海上地点に移設反対派の船を近付かせないよう、海上フェンスを張ったり、多くの艦船も動員すると見られます。沖縄の人たちは黙ってそれを許すはずがありません。

 安倍政権は、なぜ中国との関係改善に力を入れないのでしょうか。東シナ海を波静かな「平和の海」にする努力をしないのでしょうか。軍事基地造りに入れる力の何分の一かでも対中関係改善に向けるなら、評価も高まりましょうに。

 そして、鳩山さんが宇宙人的な力を発揮して、普天間移設は「国外へ、最低でも県外へ」ともう一度、言い放ってもらいたいものです。

 


1923 ・安部首相のNHK支配強硬策がほぼ成功――籾井・NHK会長の居座りで

2014-03-28 07:42:05 | 政治

おはようございます。
生き生き箕面通信1923(140328)をお届けします。

・安倍首相のNHK支配強行策がほぼ成功――籾井・NHK会長の居座りで

 安倍首相はもくろみ通り、NHKをほぼ手中に収めたといえます。籾井勝人というNHK会長に就任した男が、国会での「辞任すべき」との厳しい追及をかわし、居座りに成功したからです。籾井という会長は、安倍首相が当初からNHK乗っ取りをもくろんで送り込んだ、渾身の人事だっただけに、おいそれと辞任しないよう裏で懸命に支え続けたことが分かります。

 安倍首相は、集団的自衛権の解釈改憲を実現するため、内閣法制局の長官として、自分の意を体して動く人物を送り込みました。最高裁長官を始め、各種の政府審議委員会にも”お友達”を充てました。

 国権の最高機関とされる国会は、自公が圧倒的多数を占め、ほぼ思う通りに動かせる態勢です。当然、全官僚機構も意のままに動かせます。つまり、立法府、行政機構も手中に収め、最高裁を頂点とする司法権も影響下に置くことができました。

 第4権といわれるメディアも、今回、NHKの支配を強行することで、まんまと手に入れることができました。しかも、この日本最大のメディアは、皆様の視聴料で賄われます。安倍首相は、国民に受信料を支払わせながら、その果実として思うように操作できる力を手に入れたのです。安倍首相にしてみれば、国民が払う料金で、国民をコントロールできる態勢なのです。こんなうまい話はありませんよね。

 朝日新聞は本日3月28日の朝刊で、「特定秘密保護法から考える 市民の力 信じられますか」という対談特集(3面)を組みました。「権力による介入や排外主義的な主張で社会が揺さぶられるなか、私たち市民は自身を取り戻せるのか」という問題意識の特集です。

 問題は、「市民の力」です。日本での「市民の力」は、ややもすると「お上、中心主義」「お任せ主義」です。

 NHKは、できるだけ中立性を保つという長年の努力の結果、「NHKのいうことは信頼できる」という何物にも代えがたい信頼性を築いてきました。安倍首相はそこに目を付け、NHKを利用することで、自分の政策を有権者の頭に刷り込み、マインドコントロールしようとしているのです。

 対談で、杉田敦・法政大教授(政治理論)は、「戦前の国家主義の反省を踏まえ、権力に対して異論を言う場を確保し、社会が一丸となるのを防ごうというプロジェクトが戦後民主主義でした。ところがいま、当初想定された以上に、国家主義的、排外主義的なかたちで異論が噴き出し、戦後約70年間の蓄積を揺さぶっています。我々は、この日本の市民社会に自信を持てるのか」と、「市民の力」にやや懐疑的です。

 対談相手の長谷部恭男・東大教授(憲法)は、「私は人には、『日本の市民社会に自信を持っている』と言うことにしています。そう言い切る人がいないと、人々の社会に対する自身は、本当に失われてしまうと考えるからです」と言っています。

 この対談は、本当に指摘しなければならないことから”逃げた”対談、あるいはオブラートに包んで真実をぼやかした対談になっています。

 日本の真実は、安倍・独裁政権が成立し、アベ・ナチ党による暗黒政治が機能し始めた。「市民の力」は太刀打ちできないところまで追い込まれている、という姿です。NHKの乗っ取られ方、それに対する市民の反発力の弱いことが、安倍独裁を許す最も情けない姿の象徴といえそうです。そして、「市民による、アベさまのための、アベさまの政治」を貫徹させる利敵行為をしていることに気がつかないまま、市民はのほほんと過ごしているわけです。次代の人々に対する責任も放棄せざるを得ない状況です。


 


1921 ・「年令だけちょっと多めの若者」の時代が、ついそこまで

2014-03-27 07:29:30 | 政治

おはようございます。
生き生き箕面通信1921(140327)をお届けします。

・「年令だけちょっと多めの若者」の時代が、ついそこまで

 「生ずるは独り、死するも独り。共に住するといえど独り。さすれば、共にはつるなき故なり」という言葉は、一遍上人nの教えとして広く知られています。

 最後のところは、寂聴さんによると、「どんなに愛して一緒に住んでいても、心の奥底まで共にすることはかなわない。一緒に果てることもできない」という意味なのだそうです。

 「独り世帯の時代」がもうすぐそこまで来ているそうです。作家の高橋源一郎さんが本日3月27日の朝日新聞(論壇時評、15面)に、「ひとりで生きる 新しい幸福の形はあるか」という問題提起の論考を寄せていました。

 年金開始年齢が引き上げられ、否応なく70歳まで働かなれば暮らしていけない社会になってきている。標準世帯は「夫婦子ども二人」ではなく、「単身世帯」、つまり「独り世帯」が最多の標準世帯になるのだそうです。2030年には、「中高年男性の4人に1人が独り暮らし」となっているという予想が指摘されています。

 「そして、その果てに待っているのが『認知症』」とも。10年後には、1000万人を超える認知症患者とその予備軍があふれる時代が想定されています。

 「やがてやって来る社会で、私たちはみんな『ひとり』になっていくのかもしれない。そこで、わたしたちは、どんな新しい『幸福』の形を見つけることになるのか、いまのわたしには、わからないのである」と、高橋さん。

 ただ、その前に都築響一氏の「独居老人スタイル」という本を紹介し、「毎日をものすごく楽しそうに暮らしてる、年令だけちょっと多めの元気な若者」の暮らしぶりに触れています。

 不満なのは、高橋さんの視点に、コミュニティや「集い」の視点が欠けている点です。「独居老人スタイル」にしても、年寄りが独りで何か「お宅なこと」にニヤニヤしている姿です。

 昔の日本には、村々の寄り合いや「結い」の結びつきがありました。集落全体が一つの大家族のような暮らし方です。都会でも、下町の長屋では、コメや油、醤油の貸し借りなどが普段にあったといわれています。戦後も、映画「三丁目の夕日」に描かれたころまでは、地域のコミュニティがありました。

 いま必要なのは、つながりを取り戻す地域全体の取り組みのように思われます。地域全体で声かけや集いへの誘い、見守りの習慣をつけたいものです。さもなければ、誰にもみとられず、いつの間にか亡くなっていたという「孤独死」の山が築かれる社会になりそうです。