島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

常磐御茶屋跡と済衆館跡

2011-01-28 13:25:21 | 歴史・史跡
一昨日、昨日からの引き続きのお話しです。
というのも、探していたものはこれだったのです。
ここは島原城築城時から清水が湧き出していて、藩主の別邸として利用されてきました。
松平氏の統治時代には常磐御茶屋(ときわおちゃや)がありました。
特別の計らいで、この地に藩医学校 済衆館(さいしゅうかん)が、文政四年(1821年)医学校兼病院として開校されました。
済衆館は、昨日ご紹介した「稽古館」の一科目であった医学を独立充実させ、領内のお医者さんを養成する他、蘭法医学を取り入れた施療を行いました。
天保十三年(1842年)にはシーボルトに学んだ蘭学者・本草学者の加来佐一郎佐之(かく さいちろう すけゆき)や二度の江戸遊学をはたした地元の医師 市川泰朴(いちかわ たいぼく)を教授にし、西洋医学を指導しています。
天保十四年(1843年)には市川・加来たちを中心に町在の医者たちと二度にわたる九州初の人体解剖を行い、さらに当時最も恐れられていた天然痘撲滅のため、長崎でオランダ医師モーニッケが嘉永二年(1849年)種痘に成功すると、翌年市川・加来両名に学ばせ、他藩に先駆け広く庶民に接種を行いました。
このように済衆館は島原の医学の振興と施療に貢献しましたが、時代の流れによって廃校されてしまいました。
常磐御茶屋の一部は、本光寺に移され、今でも資料館として公開されています。
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