諫早市指定史跡「横津の石槨」です。
「よこづのせっかく」と読みます。
え?どれが?
どうやら、コレのようです。
「昭和2年(1927年)、びわ島の海水浴場工事の際に、今からおよそ3000年前の石室墓が発見されました。
石室には親子と思われる人骨三体があり、一体には石の枕がしてあり、一体には腕に貝輪が装着してあったといわれ、付近からは石斧、石包丁、縄文土器が出土しました。
遺物などは長崎大学に保管されていましたが、原爆の被害により焼失しました。
石室の内法は、長さ173cm、最大幅55cm、最小幅32cmで、残存している北側蓋石の下面から床面までの深さは66cmです。
元々は封土があったものと思われますが、今は石室が露出しています。 諫早市教育委員会」
後ろにもう一枚解説板がありました。
防風林の中に、所謂「下釜石棺群」と呼ばれる史跡があるみたいです。
飯盛町時代には指定史跡になっていたようですが、残念ながら市町村合併の際に市の指定から外されたようです。
飯盛支所で頂いたマップには他にも“上原遺跡”や“下屯山遺跡”、“お茶屋敷の井戸”など、気になるワードが並んでいます。
もう少し町史などを調べた上で改めて訪問しなければならない場所です。
「よこづのせっかく」と読みます。
え?どれが?
どうやら、コレのようです。
「昭和2年(1927年)、びわ島の海水浴場工事の際に、今からおよそ3000年前の石室墓が発見されました。
石室には親子と思われる人骨三体があり、一体には石の枕がしてあり、一体には腕に貝輪が装着してあったといわれ、付近からは石斧、石包丁、縄文土器が出土しました。
遺物などは長崎大学に保管されていましたが、原爆の被害により焼失しました。
石室の内法は、長さ173cm、最大幅55cm、最小幅32cmで、残存している北側蓋石の下面から床面までの深さは66cmです。
元々は封土があったものと思われますが、今は石室が露出しています。 諫早市教育委員会」
後ろにもう一枚解説板がありました。
防風林の中に、所謂「下釜石棺群」と呼ばれる史跡があるみたいです。
飯盛町時代には指定史跡になっていたようですが、残念ながら市町村合併の際に市の指定から外されたようです。
飯盛支所で頂いたマップには他にも“上原遺跡”や“下屯山遺跡”、“お茶屋敷の井戸”など、気になるワードが並んでいます。
もう少し町史などを調べた上で改めて訪問しなければならない場所です。