事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

DVD規格統一~業界はオタクでいっぱい

2007-10-30 | デジタル・インターネット

Img_slhf900 今はブルーレイとHD-DVDの間でもめているけれど、考えてみればDVDだって同じような経緯をたどったのだ。で、その前はVHSとβ。
この業界は“最初に勝ったヤツが最後までむさぼり食う”のが通例だから、デファクトスタンダードになるためにはどんな手法でも使うってことなんだろう。
で、今回はDVDの昔話です。2001年11月に、業界はこんな感じだったわけ。

Digital Versatile Disc ~業界おたく話でどうもすみません~

DVDの普及がいきなり加速している。規格統一でメーカーの利害が衝突し(今回はSONYと東芝)、再生機を買うのはまだまだ早いよなあ、と思っていたのがもう遠い昔。実際多くの消費者は様子見にとどまっていたし、ビデオカセットでは“ベータの男”だった私も、あの二の舞は避けたかったので慎重にならざるをえなかったのに。

 ついでだから語っておこう。VHS対βの争いは全く不毛だった。でも負け惜しみに聞こえるだろうが機能や画質の面ではβが勝っていたという世評に私は完全に組みする。βの場合、ハイバンド導入以降、画質の向上は著しかったし、カセットを挿入した途端にテープをヘッドにからませる方式をとっていたことから、再生や早送りでVHSのトロさとの差が歴然としていたのだ。

Dvd  ベータ組学級委員だったSONYに問題があったとすれば、ユーザーにとってビデオとはまず映画を再生するものだ、との発想に一歩出遅れ(このへん技術屋だよなあ)、基本規格を【60分】に設定してしまったことだろう。カセットのサイズを小さくすることを優先させたかったんだろうか。SONYらしいっちゃSONYらしい話。その点、ビクター・松下のVHS連合軍は【120分】に初手から設定していたし、販売もかの有名なナショナル店会(松下幸之助の御真影を今でも毎朝拝んでるって話だぜ……嘘だけど)をフル稼働させ、殿様商売だったSONYを蹴散らした……このへんが勝敗の分かれ目だったかなあ。

 だからといってSONYだけを責めるのはお門違いというもの。技術へのプライドから、他メーカーに妥協することを渋ったのは松下だって一緒なのだ。U-マチックっていうマイナーな規格のビデオ、まだ視聴覚室の片隅に残っている学校ありませんか?あれに固執していたのが松下で、形勢不利とみて系列のビクターのVHSにすり寄った、こんな経緯だったと私は勝手に総括している。

Vhs  結果、ベータ保有者にとってビデオレンタルとはまことに淋しい世界となってしまった。βマークが貼付された、ほんのわずかなタイトルから選択して借りていくのは屈辱そのもの。独身時代にはベータhi-fiだのハイバンド・ベータだのと新機種が出るたびに買っていた“SONYの子”である私も、結婚してなぜか思いっきりビンボーになったのに(独身読者諸君、趣味に金をかけるなら今のうちだ)、仕方なく“清水の舞台をぶちこわす”思いでVHSのビデオを買ったのだった(泣)。オーバーに言えば、一種の転向。

 それまでの我慢の反動もあって、以降、私は怒濤のようにビデオを借りまくった。昭和天皇が死んでテレビが追悼一色になった時期があったでしょう。あのとき、ビデオ屋の長蛇の列に並びながら、んーこれで俺も一般市民だなあ、とちょっと寂しかったのを憶えている(この心理、典型的なオタクのもの)。

 あ、そうだ。あの年間200本以上もビデオを観ていた時代、映画仲間(モーテルマップの連中とは違う人種たち)に私家版ビデオガイドを発行していたのだ。今もこんなメールを出していることを考えると、成長してないというか昔も暇だったというか……。今度ここでご紹介します。久しぶりに読んだら結構笑えたので。

 あれ?何の話だっけ。あ、そうそうDVDでした。この普及に何よりも貢献したのがSONYのDVD再生機能付ゲーム機プレイステーション2であることは衆目の一致するところ。ついに昨年は売り上げでDVDがVHSを上回ったとか。印象としてはアッという間である。

 このプレステ2と任天堂のゲームキューブの覇権争いが、昔のVHSとβの対立に実はよーく似ているのだ。ユーザー同士が壮絶に反目し合っているところ(ネット上の掲示板ではお互いの中傷合戦が繰り広げられている)とか、自前の技術とは言えないゲームキューブにDVD再生機能を付けて来月松下が参戦するところとか。

Ps2  マイクロソフトがXboxなるゲーム機で殴り込んでこようが、結局勝負はソフトが左右するのであり、正直にいえば次のドラクエを獲得したハードが主流になるのだろうが(FFについては既に決着がついている。前号でお知らせしたように、スクウェアの139億にものぼる大赤字をSONYが救済した以上、プレステ陣営は確定済み)。

 いずれにしろビデオ再生の主流がDVDに移ったことは疑いなく、こうなったら早くTSUTAYAとかもどんどん棚を広げてほしい。まだまだタイトルは少ないからなぁ……でもメディアの初期に特有の、なんでこんな映画が!?というタイトルもあるので今は幸せな状態にあるともいえる。ゴダールの初期なんてなかなか観れるもんじゃないぞ。

 で実際に私もプレステ2でDVDを観て痛感するのは、その画質と音質の良さはもちろんだけれど、特典メニューでメイキングや未公開シーンを観ることができたり(おまけ、という言葉を聞くと興奮したり、映画館では予告編も楽しみという人には絶対のおすすめだ)、音声と字幕をそれぞれ原語や日本語に選択できる機能がうれしい。

 無理を承知ですべて英語にしてみると、今のアメリカ映画がいかに四文字言葉にあふれているかがよくわかる(F○CKとかSH○Tとかを字幕で観るとなんか笑える)。若い頃からこうやって観ていれば、ここまで英語力が落ちることもなかったろうになあ。この機能はNOVAに通うよりなんぼか有効じゃないか?

 で、その四文字言葉てんこ盛りの「ダイ・ハード」を第一弾に、DVD傑作選、開始します。ああ、また勝手なシリーズを……。

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がんばれ清原

2007-10-30 | スポーツ

Kiyohara1 2001年7月1日付の、清原ファンの悲痛な叫びです(笑)。
今どうしてるんだあいつは。

「おとうさん、野球の選手でだれが好き?」私の影響ですっかり巨人びいきになった息子がきいてくる。
「うーん、清原かなあ」
キヨハラぁ?どうして?」息子は松井ファンだ。
「えーと…」どうしてって…

 …1985年8月14日。第67回夏の甲子園7日目第2試合。山形県人にとって悪夢のような事態が起こっていた。当時は学校もまだ閉庁方式をとっておらず、私は出勤していたためリアルタイムでその試合を見ることはなかったが(職員室で甲子園を見ることが常態となっている職場も多いらしいが、どうも私はそのことに馴染めないでいた……他のことには全くいいかげんなくせに)、うちに帰ってそのスコアに目を疑った。

PL学園29-7東海大山形

ななななんだこりゃあ!?
 この試合をテレビで見ていた連中は、今でも「まいったっけなー、あれは。」と飲み屋で話してくれる。この試合の凄さを数字で追うと、

・毎回得点
・チーム最多得点 29
・チーム最多安打 29
・ 両軍最多安打  41
・ 個人最多安打  6(笹岡)
これらは今でも大会記録だ。

でも、飲み屋で話す連中は、必ず一言付け加えるのを忘れない。「でもやー、あんどぎのPLがら7点も取たんぜー。」

あのときのPL学園。いうまでもなく、投手桑田、四番清原を擁した高校野球史上最強のチーム。関西人が「阪神とやったら勝つかもしれへん」と半分本気で語ったチームである。もっとも、この年、ペナントレースと日本シリーズを制したのはその阪神タイガースだったのだが。

 まあ、7点取ったと言っても、最後の1イニングを投げたのは桑田を引っ込めて出てきた清原で、PLのサービスだったわけ。清原のピッチング、見たかったなあ。にしてもこの大敗、県議会で問題になるほどの大事件で、東海のピッチャーが肩を壊していたことを差し引いても、山形県人にKK(桑田・清原)恐るべし、との強力なインパクトを与えてくれたのだった。

Kk1_2   そして例のドラフト騒ぎになる。桑田の巨人入団を日本テレビではニュース速報まで流したのを憶えているが、清原の涙は巨人を国民の敵にするに十分だった。あの時の巨人の監督は言っとくけど王だからな。ただ、みんな忘れたふりをしているが、あの時巨人が清原を獲れたのに桑田にした、というのはあたっていない。結局くじ引きになることは目に見えていた清原よりも、お得意の密約(あったに決まっている)で将来のエースを掠め取った、こんなところだろう。臆病な王のやりそうなことだ。

そして清原の西武時代。四番バッターとしての英才教育を森から受けた彼が、今にいたるも一つもタイトルを取っていないのは不思議だけれど、オールスターや日本シリーズになると無類の強さを発揮するあたり、目立ちたがりの本性が出ていて私はむしろ好きだ。そして例の1987年の日本シリーズ、巨人を倒して日本一になる第6戦の最終回、二死ランナーなしとはいえ、インプレー中に泣きはじめてしまうという彼の激情は、巨人ファンである私にもグッとくるものがあった。(あれを私は、百姓仕事をしながらラジオで聴いていたのだった。アナウンサーが、『おや?辻が清原のところへ向かいました。どうしたんでしょう?』と不思議がっていたのをよく憶えている)

こんなドラマをかかえた男が、巨人に来たのである。移籍した年に桑田と並んでお立ち台に立った彼の姿にはめちゃめちゃに感動した。

この、背景にドラマを感じさせる、という特質は、プロ選手として最大の財産だ。“記録よりも記憶に残る”ことがやっと認知されはじめた日本球界(これは、タイトルのために敬遠だの先発を外すだのを繰り返す悪弊への皮肉)だが、これ(ドラマ)なしには、メジャーという最大級のドラマに翻弄されつづけるだけだろう。松井秀喜を語るときに、甲子園での連続敬遠を外せないように、何らかのドラマ性をまとわせた選手は球界の宝なのだ。劇空間、とはよく名付けた。ただ気になるのは、その巨人戦の視聴率低迷が叫ばれているけれど、それ以前に、阪神大震災以来(だと思う)、どうも甲子園に誰も思い入れを抱かなくなったと思わないだろうか。本当なら準決勝で大逆転し、決勝で(!!)ノーヒットノーランをやってのけるという奇跡のドラマを生んだ松坂大輔のことなど、実はもっともっと騒がれていいはずだったのに。

あ、話がそれた。清原のことだった。

Kuwata 韓国から、大阪経由で転入してきた応援団出身のそれはこわぁい高校時代の先輩が、お兄さんと一緒に酒田で焼肉屋を開いていた。中学時代には日本語も話せなかったこの強面の旦那が、2年間ダブっただけで酒田のいわゆる進学校に転入してきた陰には相当の苦労があっただろう(だから他の先輩たちも年長の彼には怖れを抱いているようだった)。私がその高校に入学した当時、グランドへ新入生全員が引っぱり出されて応援歌練習をやらされていた昼休み、団の“顔”として睨みをきかせていたその旦那は、新入生の間を無言で歩いていたのだが、私の前で立ち止まり「お前、前へ出ろ」と命じたのだった。歌がお上手だからではもちろんない。態度が悪い、ということだった。同様に前に出された5人ほどの同級生とともに、「歌え」との彼の命令のおかげで、応援歌を情けないほどの絶叫調で歌わされた、それほどの怖い先輩だったのだが、その店で同級生と飲んでいる時、清原のことが話題になった。

※なんでまたそんな怖い先輩の店で飲むんだ、と思うでしょう。実は私の友人たちは全てその先輩に心服しており、焼肉は連中と飲む時はそこでしか食べさせてもらえないのである。おまけにその人は、去年うちの学区に独立して店を開いており、それは美味しいタン塩をサービスしてくれたりするのだ。やさしい笑顔がかえって怖かったりする。

「清原が、朝鮮系だって知ってるか?」先輩がいきなり持ち出す。
「え?そうなんですか?」
「あの強さはな、チョーセンだからだよ。」誇らしげに彼は言う。

彼ら在日にとって、清原は一種、民族のシンボルになっているのだった。その時点で、私にとって清原にもう一つのドラマが加わったのだ。もっとも、先輩兄弟は複雑な家族関係のせいで総連系(北)と民団系(南)に分かれた反目があるらしく、店を手伝っていた彼らのお母さんも加え、客を忘れた壮絶な怒鳴り合いが始まってしまい、それ以上清原の話題が深まることはなかったのだが。

 先日の横浜戦を観ていただけただろうか。レフトスタンドに叩き込んだ清原のホームランを、横浜ファンがグラウンドに投げ返し、それを二三塁間で拾ったランナー清原が、そのボールを一塁側スタンドに投げ入れたシーンを。あんなことは、野球の神に寵愛されたスターにしか起こり得ないことだし、清原が、間違いなく神に愛された男であることを証明して見せた瞬間だ。

今年再びFA権を取得する清原だが、巨人に残るにしろ去るにしろ、私はファンとして変わらずに応援し続けるだろう。どんな未来が待つにしろ、全てのドラマを勲章として身につけてゆく、この稀代のスーパースターを。

↑今でも愛しているんだよマジで。ホントよ。

コメント (4)
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黒船(シネコン)来襲

2007-10-30 | 映画

In4 (2001年)8月11日、ついに庄内にもシネマコンプレックス(複合上映施設、だっけか)が開館した。売場面積東北最大級(級、があやしい)を誇るジャスコグループのフラッグシップ、イオン三川ショッピングセンター2階の「aeoncinema(イオンシネマ)三川」がそれ。

 7スクリーン、総座席数1692。音響はドルビーデジタルだのSDDSだの、加えてどの座席からも死角にならない大画面、快適で大きなシート、障害者用の席も確保したバリアフリー、会員になれば点数がたまっていろいろもらえる(らしい。まだポップコーンしかゲットしていないので)マイレージ商法、売場面積に比例した広大な駐車場……黙っていても客がやってきた映画の黄金時代から、ほとんど企業努力をしてこなかった旧弊な興行界にとっては、黒船の名に恥じないモンスターだろう。

 最初のシネコンは、確か神奈川の海老名に、それこそ黒船らしく米資本ワーナーとマイカル(旧ニチイ)が組んで作ったものだが、それこそアッという間に全国に広がり、イオンのような国産のシネコンも数多い。おかげで年々減少を続けていたスクリーン数も増加に転じ、「タイタニック」や「もののけ姫」等のヒットもあって観客動員も上向いた……のはいいのだけれど息が続かず、去年はまた減少してしまっている。昔は10万人以上の人口がなければ映画館が維持できない、と言われていたものが、空白域だった米沢でもワーナー・マイカルが健闘しているように、シネコンという形態は映画から遠ざかりつつあった日本人を再び劇場へ呼び戻してくれたのだ。ああそれなのに、肝心のソフトが追いつかないとは……。

In1  でもまあ、今年は史上空前の夏興行。どんな映画もそこそこに客は入ったわけなので、とりあえず映画産業は息をついているのだろう。しかしこんなことはそうは続くわけないし、シネコンのもう一つの側面“ヒットする映画はどんどん大きなスクリーンで高回転させて動員が加速し、当たらない映画はどんどん片隅に追いやる”が助長する二極化構造に映画界は耐えなければならないのだ。大変だなあ。当たりそうもない映画もどんどん観に行ってやらなくては……って俺はいいカモだよホントに。

例月給与報告、という名で学校を飛び出し、とっとと映画館へ消える不良公務員である私にとって、シネコンが庄内総合支庁のそばに出来るというのは福音以外の何ものでもない。なにかの罠?と思うぐらい。酒田の審査割当が午前中であろうがどうしようが私の学校出発時刻は午後2時半。これは動かせない。

で、はじめてイオンショッピングセンターに入った印象はというと……ベネトンやらコムサがテナントで入っていても、やっぱりここは東田川郡三川町だなと(笑)。平日の午後のここは、田舎臭い女子高生やらくたびれた中年男(俺だ俺)しか見当たらないのである。まあ、その数がひたすら多いというだけで。

さて、実は私、シネコンは初体験ではない。札幌に近所の連中と(百姓のツアーで)出かけたときに、UCIという、これも米資本のシネコンに入ったことがあるのだ。もちろん一人で。他の連中はススキノですんごいことになってましたが(年明けにまた行くことになっているので、詳細をお届けできることと思います。今から不安で胸が……高鳴っている)。でもシネコン体験としてほとんど参考にならないのは、この時観たのがアイマックスシアターにおける「ファンタジア2000」だったから。視界の全てが画面になる、この巨大な上映方式に圧倒され、シネコン云々どころの騒ぎではなかったのである。正直言うと、ちょっと吐き気まで。

2203 おまけに、私はこのときエライ恥をかいている。
予想と違ってほとんど新作になっていたファンタジア(旧作がディズニーの最高傑作であることは疑いない。誰も言わないが、新作の「火の鳥」のシークェンスはナウシカのパクリだよな)に感動した私は、こりゃあパンフも買わなきゃ、と売店のお兄ちゃんに声をかけた。
「はい?……パンフですか?ファンタジアの。ちょ、ちょっと待って下さいね。」お兄ちゃんアタフタと奥に駆けていく。何か悪いことでも言っただろうか。ディスプレイには結構な厚みのパンフが飾ってある。値段をみると980円。パンフも高くなったものだ。
 お兄ちゃん戻ってきて、厳重に保管され、きれいにラッピングされたパンフを奥の棚から出してくる。
「お待たせしました。ファンタジアアートブック、9800円になります。」
「え。」
きゅーせんはっぴゃくえん。」
「……すいません、ギブアップします……。」
かように私のシネコン初体験は苦いものだったのである。

 で、イオンシネマ。ひとつ私にはそぐわない方式をとっている。全席指定、というヤツ。自分の前に人の頭が入り込むことを極端に嫌う私は、とにかく前の方に座るというガキのような性癖を持っている。自分の頭が誰よりも大きいのに迷惑な話だが。でも受付のおねえちゃんに「一番前の席をお願いします!」とリクエストするほどの根性もなかったので、その結果、まあ一番好条件の席ということになっている中央に陣取ることになる。でも、指定されたその席の隣には、ポップコーンをほおばった30がらみのデブ男が既に座っており、結果的にいい年こいたデブ二人が仲良く並んでカンフー映画を眺めることになったのだった。なさけねー。

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不都合な真実

2007-10-30 | 洋画

Goa2 AN INCONVENIENT TRUTH(’06 米)

この映画にはいくつか懸念があった。
①地球温暖化に関して、“(環境保護派にとって)都合のいい”数字だけを羅列するのではないか。
②アル・ゴア個人がフューチャーされることで、温暖化阻止のテーマがむしろ後退しないか。
③二酸化炭素削減をめざす意味で、原子力発電についてどうふれるのか。

……ある面ではその懸念は的中し、ある面では外れた。とにかく圧倒的なのはアル・ゴアのパフォーマンスだ。何千回もスライドショーをくり返したこともあってか、お前は伝道師か!とつっこみたくなるほど見事なのである。あまりに見事なものだから、なぜこれだけの人間がジョージ・ブッシュごときに大統領選で敗れてしまったのかとすら。

 しかし逆に、ゴアの主張は産業界を完全に敵に回すことになりかねないので(実は産業界にとっても有益なのだと説明されるのだが)、急進的で筋金入りの環境保護論者がよくぞあそこまで健闘したよな、と考えるべきなのかもしれない。ちなみに、この映画がパラマウント製なのは、伝統的に民主党支持(ユダヤ人ロビイストが強い)ハリウッドならでは。

 もっとも時間をとって説明されるのは、CO2と温暖化の関連。しかし印象が強かったのは『わずか一世代のスパンで個体数が3倍(20億→60億!)に増えた』人類の不思議さ。こんなむちゃな人口爆発こそ、最優先で解決されなければならないのではないかとも。

Goa3  金持ちのお坊ちゃんが道楽でお題目を唱えているだけさ、と否定する人も多かろう。でも、温暖化は富裕層よりもアジア、アフリカの貧困層を直撃する課題であることもみごとにゴアは説明してみせる。なにより感服したのは『現状に絶望すると、人間は努力をしなくなる』ので、やたらにポジティブに「どんな困難もわれわれアメリカ人はのりこえて来たではないか」とあおる政治家としての姿勢だ。原子力発電に全然ふれないあたりもうまい(笑)。偽善だ、と切りすてることはたやすいが(こんなに批判されやすい主張も珍しい)、デマゴーグと非難されることをおそれずに突っ走るゴアは、確かにノーベル平和賞に値する人物なんだろう。さて、それでは極東の地方公務員は温暖化阻止のために何ができるんだろう。割り箸を使わない?あれはなあ……。

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