事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

弔辞、のようなもの。

2007-10-22 | 情宣「さかた」裏版

Chokai  正直、わたしは学校事務職員として、県教組事務職員部の一員として、そしてこの時期から県教組酒田地区支部の代表として生きていくにはあまりにいいかげんな野郎だった。そんな自分に「それでいいの?」と文字通り言ってくれた(言葉にはできないわけだが)のが池田さんの死だった。思い入れが過ぎるんじゃないかとは当時から自分でも思っていて、むしろ池田さんはそのことをたしなめる思いでいたのかも、とは危惧していた。
 でも、彼女の死を冷静に語るにはわたしは若すぎたし、同じことが今起こったとしても、やはり同じように語ると思う。当時のわたしの本音であり、現在の本音でもある。

 ……日向小学校の、故池田弘子さんについては、たくさんのメールや電話をいただいた。どうもありがとうございました。髙橋副執行委員長、中村支部書記長と三人で、組合代表としてもお通夜と葬儀に参列して来ましたので、その報告を兼ねて、彼女の死を悼みたいと思います。

 数年前、病気でしばらく学校を休んだ彼女でしたが、現場に復帰後も、池田さんらしく、優しさと真面目さは健在でした。

 13日の土曜日に、仙台帰りにお子さんたちと寄っていた三川のジャスコで倒れ、日本海病院に運ばれましたが、翌日の朝早く、意識が戻らないままに亡くなってしまったということのようです。

 私はつくづく思います。この世が無慈悲なものであることを重々承知していたとしても、このような形の死は、あまりに非情ではないかと。彼女と一緒の職場にいた人たちが皆「いい人だったのにねえ」と嘆じたり、念仏のおばさんたちが涙を流しながら詠じているのを見ると、職業人として、地域住民として、池田さんが本当に愛されていたことがわかります。 

 事務職員の一人として、弘子さん(みんな苗字ではなくて名前で呼んでいた。そんな人。)について何よりも印象に残っているのは、“何もそんなに考え込まなくとも”と言いたくなるほど、(事務職員は)こうあるべきではないか、と突きつめて考えていたことです。不良事務職員である私など、まあこんな程度かな、とほっぽり出すことでも、

・子どもたちのために事務職員はどんなことができるのか(日向小の児童の弔辞には泣かされた)
・何のためにこんなことが行われるのか
・どんなことが行われてはいけないのか
・こんなとき事務職員はどうあるべきなのか
そして
・学校事務職員とは何なのか

を、おそらく誰よりも考えていました。教研の職務推進の役員になっていたことの責任感を、常に体現していた人でしたから。

 われわれ不出来な後輩のことも、「何を言ってるの!」と一蹴できたはずなのに、「一緒に考えましょう?」と本気で言ってくれる人だったし、そのことが嫌味にも皮肉にもならない希有な人でした……くそ、こうやって過去形で語らなければならないことがこんなに悔しい人はいないぞ。したり顔でいい気になっている私を、身をもってたしなめてくれる、そして励ましてくれた人はもういない。そして何よりも、一人の偉大な母親が亡くなってしまったことに、悲しんでいる家族がいる。再び目を開けることのない弘子さんを、泣きながら揺り動かした三人の子どもたちが残されている。そのことが、やはり哀しい。

微力どころか、無力なわれわれに残された、彼女の思いを継ぐために出来ることは、“池田弘子ならこんなときどう考えただろう” “池田弘子ならこんなときどうしただろう”ということに常に思いをはせ、そして実践にうつすことだと思う。そんなとき、ひょっとしたら彼女の、あの人なつっこい笑顔が、再び私たちに近づいてくれるのだろう。

【2002年4月18日 情宣さかた】

画像は鳥海山。彼女を語るには、この山しかないような気がした。

コメント
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