事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

歴史の責任2~みんないっしょに

2007-10-29 | 国際・政治

Pokemon01 (前号より続く)
山形新聞の投稿欄といえば、ゴリゴリの反動ジジイが「祝日には日の丸を掲げましょう」だの「目に見える国際貢献を」と主張する場になっている。その同じ紙面に佐藤賢一のユダヤ原理主義糾弾の主張が載るのは奇跡に近い。ところが同じ日、『季節風』という欄に、これまた山形新聞らしくないコラムが載ったのである。
今回の戦争に、どうしてまたやみくもに自衛隊を派遣するために与党や一部民主党が躍起になっているか、そのヒントがこのなかにあるような気がする。例によって全文掲載。

お泊まり保育

小中学校の不登校者数は、調査開始以来十年間最多を更新し続け、昨年度は13万4286人になった。「心のケア」を重点にスクールカウンセラーの配置などを行って一定の効果はあるものの、「学校離れ」に抜本的な対策は見いだせないという。不登校予備軍もあわせれば、「学校嫌い」は相当の数に達するものと思われる。

これまで、小中学校教育の問題点が、ずいぶんと指摘されてきた。しかし、幼稚園教育のありようを分析する必要はないのだろうか。義務教育前の段階で、すでにこの国の教育の型が形成されている可能性があるからだ。たとえば「お泊まり保育」。

幼稚園生活を過ごすなかで、子どもたちにとって最も思い出深いものになるもののひとつに「お泊まり保育」があるという。「お泊まり保育に行きたくない」と言い出す園児がいると、「一人でも不参加になってしまっては」と担任団は気をもみ、家庭と連絡を取り合い、「楽しい雰囲気づくり」を心がけながら、なんとか園児を参加させる対策を講ずるのだという。そして、終了すれば「素晴らしい二日間」だったとしめくくる。

The_first_contact 「みんなでいっしょに行動する」ことは、検討されることもなく、いいものだとする自明性に守られている。集団行動に価値を置く一律一斉主義は、文化祭・体育祭・修学旅行などの行事に形を変えてひそんでおり、そこでも西欧に見られるような不参加の自由はほとんどない。息苦しさは、そこからやってくる。言われたことを素直にきける子どもに学校は楽しいかもしれない。学校が推し進める価値とは異なるものを追い求めようと思う児童生徒ほど、自由や選択のない学校に、絶望するのではないか。                          【由】

……脱亜入欧、としゃにむに突き進んだこの国の近代(仲間はずれにされたくない)が、こんな部分に生き残っていると考えるのは穿ちすぎというものだろうか。何でもかんでも“ひとといっしょでなければ”不安で仕方がない、農耕民族特有のこの根性を克服できるのはいつのことだろう。

 数年前、中学の運動会練習を眺めていた英語指導助手が「Too Military(マルデ軍隊ダ)……。」と呆れていたのを側で聞いていた私は、一糸乱れぬ行進に血道をあげる体育教師の興奮した顔に、紛れもない日本人を見たのだった。もっとも、ガイジンに言われなければ何にも気づかないこちらの感性も、間違いなく日本人のものなのだが。

画像は

ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT」(‘01 松竹)
ポケットモンスター/セレヴィ~時を超えた遭遇」(‘01 東宝)

 私も嫌いではないので観はするが、夏休みは子ども映画花盛り。上記以外にも東映アニメフェアとジブリの「千と千尋~」が田舎でも公開され、そこそこにみんな客が入っているのはすごい。特に、狭い劇場で朝一回だけの上映だった「~コスモス」は全席埋まっており、仕方なく最後の一席(しかもパイプ椅子)に娘を抱きかかえながら観た。あっつー。

430699078d9c775b  まあ子ども映画の何が強みかというと、客単価は低いものの、ほぼ確実に大人同伴で来るわけだから動員数が跳ね上がるところだろう。そのため、作る側も引率者を無視するわけにはいかないし、大人向けにそれなりの工夫を凝らしてくれている。ま、文字どおり“子どもだまし”も多いんだが。

 この2本で言えば「コスモス」は懐かしのバルタン星人を哀しきE.T.に位置づけ、ポケモンの方はエンドタイトルにちょっとしたひっかけ(おそらく親の方しか気づかない)が仕込んであり、劇場をでてから親子の会話が成立するようになっている。ありがたいことです。それにしても、だ。客が入ることはわかってるんだから、もう少し面白くできないものか、とも思う。画面に集中し続けることが苦痛だったのは、娘を抱いていたからだけじゃないぞー。

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歴史の責任

2007-10-29 | 国際・政治

Suga さて、同時多発テロが起こった2001年9月11日。以降わたしのメルマガもそっち方面に集中する。今回は地元ネタもからめて……

事務職員へのこの1曲
「Happy Birthday」 福耳(杏子・山崎まさよし・スガシカオ)
詞・曲 スガシカオ

事務職員になって、というか社会人になってラジオは全くといっていいほど聴かなくなった。チャート小僧だった昔(恥ずかしい)が嘘のようだ。おかげでトレンドからは取り残され、新人に食指が動くこともない。
だがある日、さくらんぼテレビのジングル(集まらないCMの穴埋め)で、舟下りの船頭さんが出てくるヤツのバックに流れている曲を聴いたときは焦った。ムチャクチャにいい曲だったのである。周りに訊いても誰も知らないし、これはもうTV局に電話するしか……とまで考えた時にふと気づいた。(当時の)校長の娘がSAYに勤めてたんじゃなかったっけ?早速きいてもらうと偶然とはおそろしいもので……
「あのビデオ、俺の娘作ったんけー」

おお。結局彼女が選んだその曲はFMで結構なヒットとなっていたスガシカオの「黄金の月」と判明。ったくラジオを聴いてないとこれだからな。今なら「夜空ノムコウ」を作った人、で一発なのだが。
 スガをお薦めするのは、長い広告代理店勤務がダテではないな、と思える嫌みなほどの頭の良さが社会人の耳に心地いいからです。もっとも、年末調整に堪能そうな芸能人ってのもなぁ……。
                                                     山形県教職員組合事務職員部報 №310 1999年12月10日

Kyoko ……それが今ではスガの新作はオリコン初登場1位。「夜空ノムコウ」のセルフカバーは効いたなあ、というような話をしたくて昔の部報を持ち出したのではない。今回はこの“校長の娘”の方のお話。この娘、なんと「双頭の鷲」「傭兵ピエール」の著者にして「王妃の離婚」で直木賞を受賞した鶴岡市在住の作家佐藤賢一と結婚してしまったのである。どひー。あの校長が直木賞作家の義父とは。なんとまあ。

 その佐藤が月1回山形新聞の夕刊に『古今東西』という連載を行っている。この10月15日掲載分が素晴らしかったので紹介したかったのだ。山形新聞のサイトに載っていればリンク一発でよかったのに、どうやらやってないようなので全文掲載。んーめんどくさいな。

       歴史の責任           佐藤賢一
アメリカで起きた同時多発テロ、その報復として始められたアフガニスタン戦争について、やはり私も思うところを述べずにはいられない。テロであれ、戦争であれ、まぎれもない悲劇であり、無念でならないからである。

 つとに指摘されるとおり、対立の軸はパレスチナ問題である。アラブ・イスラム教徒に関しては、すでに方々で語られており、ここでは他方のユダヤ人について、少し考えてみたい。私なりに公平に判断して、そもそものイスラエル建国は、やはり乱暴な話だった。そういう言葉を使うなら、まさに「ユダヤ原理主義」の仕業である。

Yamazaki  1948年、もう20世紀も中盤だというのに、紀元前の旧約聖書を持ち出してきたからだ。聖典に俺たちの土地だと書いてあると、見知らぬユダヤ人に強引に移住され、祖国を奪われたアラブ人の怒りたるや、想像に難くない。北方四島をロシアに奪われた程度でも、現に日本人は大騒ぎしているではないか。その理不尽な仕打ちを、圧倒的な武力で応援する国がいたら、まして恨まずにいられまい。アメリカがイスラエルを支持するのは周知の通り、穏健なユダヤ人がアメリカ市民として、この国に一大勢力を築いているからである。ユダヤ人を怒らせては、大統領は選挙に勝てない。ばかりか、連中は財界、政界、官界と進出して、過激派でも仲間は仲間だと、イスラエル支持を政府に強烈にプッシュするのだ。これでは過激な原理主義者を応援する、穏健なイスラム主義者の心情を、責められた義理ではなかろう。

 いや、違う、とアメリカ人は反論するかもしれない。ユダヤ人もイスラムもなく、これは国際社会とテロリズムの戦争なのだと。が、このテロという蛮行も、実はユダヤ人が元祖なのだ。イスラエル建国前夜、当時の標的はパレスチナ統治を放棄しない、イギリス帝国主義だった。ユダヤ過激派は現地の防衛委員会事務所、移民管理局、税務署、鉄道などを破壊した。なかでも46年、エルサレムでイギリス要人が宿泊していたキング・デイヴィッド・ホテルの爆破テロは有名である。が、このときはイギリスもアメリカも報復戦争などしかけていない。腹立たしい思いは同じはずなのに、どうしてユダヤ人には報復せず、あまつさえイスラエル建国まで容認したのか。様々に政治解釈は可能だが、私は欧米人の心理の底にはユダヤ人には強く出れないという一種の弱みがあるからだと考えている。

 イスラエル建国は実は単体では理解できず、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺の反動として位置づけられる事件である。戦勝国の論理では、ヒトラー政権の所業は絶対の悪だった。これを声高に非難しながら、当時の欧米人の本音といえば、かなり後ろめたかったに違いない。ユダヤ差別はイギリスでも、フランスでも、アメリカでも、どこでも行われていたからだ。ゲットーに隔離したり、異端審問の餌食にしたり、あるいはペストの流行まで、井戸に毒を投げられたとユダヤ人のせいにしたり、それは中世の昔からキリスト教徒に一貫してきた態度なのだ。そうした自分たちの醜悪な横顔を、ナチス・ドイツに極端な形で表現された後に、今度こそ抑圧から解放されたいとユダヤ人に立ち上がられれば、気まずさで腰が引けてしまう気分もわからないではない。が、だからといって、アラブ人にしわ寄せが来る筋だろうか。それが欧米人の歴史ならば、どんなに辛くとも欧米人みずからが、最後まで責任を取るべきではないのか。

Satokenichi  いずれにせよ、日本人には関係ない。あげくの戦争に荷担して、欧米人の後始末をしてやる義理もない。日本の旗が見えないと笑いたいなら連中には笑わせておけばよい。本当に馬鹿にされるべきは、自分で自分の尻も拭けない輩だからである。それでも他人の尻拭いをしたければ、その前に日本人は自分の歴史に、きちんと責任を取るべきだろう。かつて迷惑をかけたアジア諸国に、今度こそ尻ならぬ、晴れやかな顔を向けられるように。

……イスラエル建国については、とにかくイギリスが悪かった、と乱暴な括り方でしかとらえていなかったが、なるほどこんな側面もあったわけだ。ひとつ注目してほしいのは、佐藤が今回の事態を「同時多発テロ」と「アフガニスタン戦争(こう言い切ったのは佐藤しか知らない)」にはっきりと分けていること。私もそう思う。今回の戦争が始まったのは、断じて9月11日ではなく、アメリカとイギリスが空爆を始めた時点からなのだと。
(この項つづく)

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