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事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

パール・ハーバー

2007-10-28 | 洋画

Pearlhabortop 観るつもりの人はとっくの昔に観ているだろうし、観ていない人はおそらく絶対に観ないだろうから総括させてもらう。勝手な決めつけでごめん。

題材や展開からいって、アメリカ礼讃になることは目に見えていた。実際そのとおりだったし。どうしてこう、もっと刈り込めないのだ、とイライラするような恋愛ドラマとしての拙劣さ、これも当たっている。偉い日本人はいつもマコが演ずる不思議。悪評さくさくのアウトドアにおける御前会議よりよほど不自然だろう。天皇はあそこにいたかなあ。ちょっと言えてるかも、と思ったのは『市場としての日本』を意識して、零戦のパイロットがハワイのがきんちょに「逃げろ!」と叫ぶシーンが挿入されたあたり、卑怯なんじゃないか、との評。でも作ったのがアルマゲドンのコンビ。作り手は商売しか考えちゃいまいから仕方ないっしょ。

でも、“敵としての異邦人”の描き方って、ハリウッドはいつもこの程度じゃなかったか?ほとんどマンガ状態のナチス・ドイツ。不気味そのもののベトコン。日本人はこの映画に顕著なように『いつも絶叫している』民族。これらがアメリカ人にとってのパブリックイメージなのであろう。当然誤ったイメージだし、思いこみは不遜だし、西側文化バンザイ(というか西洋以外に文明が存在することを連中は心の底では信じていない)もいい加減にしてくれ、と絶叫しちゃうぞ。

しかし、彼らは映画というプロパガンダの手段、情緒に訴える極めて有効なメディアを完全に手中にした民族なのだ。制空権、制海権に似た『制メディア権』を握っている。その覇権をもとに、実は底の浅いドラマを壮絶なSFXでくるんで見せる。王者の企みである。横綱相撲というか。

Head2 これはある程度仕方のないことだ。これがつらいというのなら、狭量な保守層のように「こんな映画を観るな」と突き放すか「こんな映画で感動するなんて今の若いモンは」と嘆じるしかない。日本人がこの覇権に異を唱えるためには、小兵なら小兵なりの文化の発信をしなければならないと思う。娯楽映画としてのHIROSHIMAとか。あまりにも極端な例で誤解されそうだけど。どうしてもそれ(世界を相手に商売する、世界を納得させる)が出来ないとなれば、やはりあの戦争は聖戦でもなんでもなく、侵略の延長線上にあったということだろう。少なくとも世界は今そう見ているし、日本人である私ですらそう思っているのだから。

先日の教育テレビで、スピルバーグのインタビュー番組があり、彼が父親の出征について「西側世界を守る戦争に父親が参加できたことを誇りに思う」と断言していた。スピルバーグがユダヤ系(ハリウッドど真ん中)であることを差し引いても、現在のハリウッド→アメリカの制メディア権がかなり強固であることがうかがえる。インテリですらこうなのだ。労働者階級の『黄色い猿』や『赤い髭面』への嫌悪は相当なものだろう。この偏見をひっくり返すのは並大抵の努力ではない。

Head  まして「パールハーバー」では“零戦アタック”をまるで自然災害のように描く余裕さえ見せている。中盤の四十分間の戦闘シーンで、愛国者ではないにしろ日本人の私をほとんど高揚もさせないのだから相当なものだ。ひたすらリアルで、陰惨ですらある。歴然とタイタニックを意識していることがバシバシ感じられるし。実在のコックが戦闘に参加する挿話とか……意味なかったけど。

 肝心のアメリカでこの映画がうけなかったのは、きっとこの、高揚しない、というファクターによるのであろう。後半にとってつけたようなドゥリトル中佐(アレック・ボールドウィン、見事に太ってました)指揮の本土空襲シーンがあるのも、無理矢理アメリカ人を高揚させなければ、とのフォローだろう……失敗してるけど。

 ただ、恋人を死んだ友人に取られ、友人のこどもを彼女とともに育てていこうとする男の物語、これをもっと押し出してくれればそんなに“唾棄すべき映画”とか“あの糞映画”とか言われなくて済んだのに。ラストの夕暮れの飛行シーンとか、良かったじゃないか、素直に見れば。

Toratoratora  それにしても、こんな下手くそなタイタニックの二番煎じでこれ程語らせてくれるのだからハリウッドの底力は並ではない。製作者ブラッカイマーの商売の手法とその失敗を拝見させていただいただけでも金を払った甲斐はあった。若い頃なら激怒していたかもしれないが、「トラ!トラ!トラ!」に続いてこれもコケたことで、もう二度と真珠湾の映画って作られないだろうし。

 おわかりだろうか。この映画における日本、および日本的なるものの存在が、現在のパレスチナ、およびイスラム的なるものに見事にシンクロしていることを。例のテロを“パールハーバー以来”と煽るなど、被害者としてのアメリカの執念深さとファナティックさを思い知らされる映画。                    
あ、もう一つ。ラストの、アメリカが途中までこの戦争で勝てる確信が持てなかったというナレーション。あれは作為的すぎるってもんだろうよ。           ☆☆☆

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小泉政局も読む

2007-10-28 | 国際・政治

Koizumi  加藤政局に続いて四十男の居酒屋政治談義。2001年5月1日にわたしはこんなことを考えていたわけ。今でも同じ部分もあり、もちろん違う部分もある。はっきり言えば、小泉純一郎の影響は予想をはるかに超えて大きかった。もちろん、悪い意味で(T_T)

 ちょっと困ったことになった。組合の幹部たちはそう思ったのではないだろうか。自民党総裁選小泉圧勝。首相就任後の内閣支持率87%。ここは大方の予想通り橋本にもう1回参院選を戦っていただいて、一気に政権交代に持ち込もうとの腹だったのに、というところだろう。私もそう願っていたし、そうなるだろうと思っていた。ここで小泉人気がこうまで爆発されたのでは、サメ頭野郎森喜朗がせっかく(笑)自民党支持率を下げてくれた功績が消えてしまうではないか。

Mori  それにしても退陣してからも出てくる出てくる森への悪口雑言。アメリカ政府筋からは「この1年、日本の低レベルな対応が……」と平気で切り捨てられるし、新聞の総括は「(小渕のように)いい首相のふりをすることさえ出来なかった」ここまで書くか。朝日の首相番の女性記者との確執が首相動静で読めなくなったのは寂しいが、座持ちがいいだけの、要するに市町村議レベルの男を国の最高責任者に選んでしまうとこんな結果になってしまうことの痛みは、ひろむちゃん(この人が誰よりも総理大臣になりたかったことはヒリヒリ伝わってきた。被差別出身…自分で広言しているらしい…の首相が実現したら、それはそれで画期的だったはずだが)もよーく理解したことと思う。だいたい、森が政治家としてやりたかったことって《教育勅語の復活》という、要するに田舎の小うるさいジジイがよく口にする類のことでしかなかったわけだろ?首相でいることそれ自体がただ嬉しくて仕方のない男に、一年も舵取りを任せたこの国はやはり不幸だった。

 しかし小泉のこの人気はなんだぁ?おらが故郷のセンセイの言うことに従順きわまりなく従ってきた自民党員の本領はどこへ消えた?近岡理一郎に不承不承小泉に票を入れさせるほど、保守層は“目覚めて”しまったというのだろうか。

 違うと思う。

Koizumi2 マスコミが騒ぐほどに、彼らが覚醒してしまったはずがない。あえて甘く見るが、ひたすら彼らはウンザリしてしまっただけだ。利益誘導一本やりで国政を考えてきたあいつらが、そう簡単に構造改革に耐えられるものか。

私たち事務職員にしたってそうだ。事務研の時に前田日教組事務職員部長が言っていたが、加藤紘一が政権をとったら義務教育費国庫負担問題なんぞ木っ端微塵だろうとのことだったが、小泉の改革路線はそれ以上ではないか。まるで守旧派扱いの我々にその覚悟が出来ているだろうか?

Makiko 誤解されると困るのだが、日本のことを考えたとき、少なくとも今は小泉が最良の選択なのかもしれない。前任者に国民が辟易していて、民主党は鳩山がトップのうちは怖くない、こんな機会にでもなければ、竹中平蔵や田中真紀子が入閣できるはずもなかったし(この二人を私はまったく評価していないが)。でもなあ、いきなり憲法改正だの自衛隊に失礼だのとの発言を小泉がしているのを聞くと、後ろにサメ頭野郎や中曽根戦後最低軍人宰相の操り糸が透けて見えて(立候補する時になんか言われたに違いないしな)……。それに盟友山崎拓はサメ頭以上に憲法改正ぐらいしかやる気と能力は無さそうだしなあ。マスコミの持ち上げ方も田中角栄や細川護煕の時とまるっきり一緒だし、なんか、やっぱりこの国は残念ながらまだまだ下降しなければ目覚めたりはしないみたいだ。長野や栃木、そしてあの千葉の知事選の流れが、一気に小泉に収束される様子は、見ていて寂しいの一言に尽きる……。

以上、シロート政談第二弾でした。ほんと、参院選(自民党が調子に乗ると衆参ダブル)どうなるんだろう。

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当世新採事情

2007-10-28 | 情宣「さかた」裏版

Wg 酒田地区情宣シリーズ。今回は若手向け。
発行は2002年5月27日。

前号表版にあったように、5月14日(火)は新採交流会。
「出てくださいよ。」中村書記長の厳命。
「なんだい新採交流会って。」
「教育センターで新採研やってますから、初日の夜に参加者を県教組が集めて交流の場を設定しているわけです。前からやってるんですよ。」
「へー。で支部長が参加して……」
「新採たちの、組合への好感度上げておかなきゃならないでしょう。」
好感度……それは自信ないな。

で、天童温泉舞鶴荘。隣の出羽路会館の跡地が単なる駐車場に使われている姿は哀しすぎる。少しブルーになりながら正面玄関へ。
「?」
後できいたら旅館の都合らしかったが、表にはどでかく「山形県教職員組合主催・新規採用教職員歓迎コンパ」の看板が。

 コンパだぁ?オレはそんなチャラチャラしたもののために100㎞も車を転がして来たわけじゃ…………楽しかった。不覚にもものすごく楽しかった。好感度がアップしたのは新採の方だったし。

 だいたい新採とは言え、新卒でいきなり採用された人は少数派。育児との両立に悩む人、長い講師経験や前歴を持った人、他県からやって来た人、いきなり部活の練習試合をまとめ上げるツワモノたち……新歓コンパと油断している場合ではなかったのである。

G  思えば近頃の新採たちは、ある意味かわいそうとも言える。“石を投げれば同級生に当たる”とまで評される40代~50代の教職員に比べ、少子化の影響をまともに受けて、まず圧倒的に数が少ない。この世代間格差のおかげで、先輩からのスキルの継承が、職場の実践から自ら学び取るよりも、初任研を始めとした官制の研修から“受講”する機会が多くなり、官制である以上、「こんな指導はしてはいけない」「私はこうして成功した」式の“強者の訓導”(受け手の中にはそう感じる人もいるはず)の色彩がどうしてもにじんでしまう。同世代の人間が多い場合に否応なしに行われる日常の切磋琢磨と交流の機会が、初手から失われているのだ。

 第一、小学校と中学校間の同世代交流など同じ学区にならなければほとんど無いに等しいし、他管に至ってはもう二度と会わないかもしれない。交流会で酒田の新採者たちに繰り返し「よく顔を憶えておくんだよ。年齢や経歴は違うかもしれないけれど、この人たちが、あなた方の“同期”だ。」と年寄りじみて話したのは、その意味もある。今までにどんなに違う人生を歩み、これから違う未来に旅立つとは言え、同期の連中はやはり一生の財産だ。職場が遠く離れても、「あいつらもがんばっているんだ」という思いは心の支えになってくれるだろう。少ないとは言っても、支えが百人もいるのだ。全県を通じても同期の事務職員がわずか二人しかいなかった私は、早朝の13号線を酒田に向けて走りながら、彼らのことを少しうらやましく思った。
 
 さて、長々と駄弁を弄したのはほかでもない。同じ世代の連中と交流を図り、自分の意志で自らを高めようと思うなら、県教組はその機会を腐るほど(笑)提供していることをお忘れなく。青年部の活発な活動と、元青年部員たちの交流の記憶(人脈とも言う)は、私たち県教組の、何よりの財産なので。

【情宣さかた 裏版Vol.8 2002年5月27日】

Wallace_sub2画像は「ウォレスとグルミット/野菜畑で大ピンチ!」Wallace & Gromit: The Curse of the Were-Rabbit(’05 英) 監督:ニック・パーク、スティーヴ・ボックス
 イギリス人の苦いユーモア爆発。低予算のホラー古典を徹底的にパクリながら、しかしフォーマットはちゃんといつものウォレスとグルミット。あのテーマソングが大メジャーで流れるだけでうれしい。
                     むしろ大人がよろこぶクレイ(粘土)アニメ。ぜひ☆☆☆☆

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余裕ないだろ。

2007-10-28 | 情宣「さかた」裏版

Que1 酒田地区の情宣シリーズ。今回は労金プッシュ篇。発行日は2002年5月20日でした。

ねぇ~ハワイぃ~」いかにもな主婦のおねだり。
ほれぼれするような絶妙のタイミングでリモコンでテレビを消し、「余裕ないだろ。」と突き放す亭主。

今は別のバージョン(新しいパソコンほしいなぁ)が流れているが、ご存知、ほのぼの○○○のCFである。
 このあと、わけのわからない飛行船が出撃するカットが入り、女房が「へそくり!」と亭主に現金袋を水戸黄門の印籠のように見せつける……

なんじゃこりゃあ!私は激怒した。こう読んだのである→妻はハワイ行きたさのあまり○○○に駆け込み、あとさき考えずに亭主にへそくりと偽って現金を叩きつけた、と。

 しかし繰り返し見ていると(何度も何度も見せつけられるのが消費者金融広告の暴力的なところ)、飛行船は「へそくり!」の後、失望したように出撃を断念しているので、このCMはこう読まなければならなかったのだ……ハワイ行きのお金ぐらいいつでも用立てますよ、と親切なほのぼの○○○号が心配するまでもなく、奥さんはきちんとお金を用意しておく出来た女房だったのでした。めでたしめでたし。ご利用は計画的に……。

Takefujis  しかし私のような誤解をした視聴者は多かったようで、宣伝部は釈明に追われたらしい。だいたいこんなベタなちゃっかり奥さん、フェミニストからは総スカンだろうし、彼女の表情には【何か邪悪なもの】すらうかがえ、なんか、すっきりしないのだった。

 不況が長期化し、需要が伸びているからといっても、圧倒的な宣伝量を誇り、多大な設備投資をして無人の契約機を町のあちらこちらに出現させ、経営者が高額所得番付に常に上位にランクされる消費者金融という業界に、どうも不自然なものを感じないだろうか。

 とにかくひたすらクリーンで若者向けのイメージを刷り込ませようとしている裏には、この業界が【常に新規の顧客を開拓しなければやっていけない】ことを示している。

 法律によって昔ほどの高利で貸し出すことはなくなったとはいえ、しかし年利20%近い金利は客に過大な負担を強いている。そのため、他の消費者金融から借金をして返済するという【多重債務者】の存在が、この業界の最大のネックになっている。自己破産等によって貸し倒れになることを彼らはもっとも恐れているのだ。結果、「どんなワークスタイルの」「はじめてのあなた」にも、「恋人のように」対応するという形で新たな利用者を待ち望んでいるわけ。そっちの方がリスクが小さいから。

 そしてこの業界に多額の資金をつぎ込んでいるのが【銀行】。こちらの方が実は罪が重い。消費者金融のように世間の指弾を受けることなく、大きなリスクを背負うこともなく、しかも公的資金を湯水のように注ぎ込まれ、そのくせ“貸し渋り”という一種の国民への背信行為を……(以下自粛)。

今回は消費者金融、そして銀行の悪口を言うことで、ご想像のとおり労働金庫をプッシュしているのです。数年前、各行がバブルの遺産である不良債権の処理に追われているスキに、イケイケとは無縁の存在だった労金の収益が県内トップになったことは、一種の痛快な皮肉と言えました。

 およそ銀行が、個人客など本気で相手にして来なかった過去を考えると、やはり“われわれの”労働金庫をメインバンクにしておくことが(あまり声高に言えない事情もあるけれど)自分を守ることにつながると言えるでしょう。本当に、もっと裏事情をさらしたいところですが、本日はここまで。

※このような話は、本当ならマスコミがもっと報ずるべきなのだが、既に営業上欠くことの出来ないスポンサーになっているため(以前は深夜にしかCMを流さないという矜持があったものなのに)、ほとんど語られない現状になっている。先日の青森の放火殺人にしても、その真相に突っ込んだ取材をする媒体はほとんど見られなかった。

※借金をする上で絶対に忘れてはいけないのは、“必要最小限の額しか借りない”ということ。実際に借りる段になると、つい余計に現金を手にしたくなるのが人情というものなので。

……2007年現在、例のグレーゾーン金利がようやく問題になり、あこぎな商売はむずかしくなっっている。しかしその分アンダーグラウンドな闇金が携帯を利用して繁盛しているのはどんなもんだかなあ。

Amelie画像はこの号の【組合員へのこの1本】

アメリLe Fabuleux Destin D’am’elie Poulain (’01 仏)
 なんてことだ。港座に続いて酒田シネマ旭まで閉館してしまった。授業をさぼった高校生たちはどこに行けばいいのだろう。すべてはシネコンのため、なのだろうが、豪奢にして快適なあのシステムにも欠点はある。複数のスクリーンで効率よく回転させるため“ヒットする映画は果てしなくヒットし、そうでもない映画はアッという間に消えていく”こと。ミニシアター系の作品を定期的に上映してもらうためには、来月上映の「アメリ」に客を呼ぶしかない。往時のシネサロン(酒田グリーンハウスの中にあった究極のミニシアター。客席数12)の夢よふたたび。

 この作品は、いつもはポルノを輸入している弱小配給会社が「いっちょ勝負かけてみっか」と大ばくちで購入し、若い女の子相手に大ヒットしたおめでたい映画。ある理由で学校教育を受けていないため、他人との距離がなかなかつかめずに小さなことで落ち込んでしまう女の子……主人公アメリのこんなキャラクターが現代人に愛されないわけがない。私は札幌の劇場で観たが、客席の反応はすこぶる良かった。小さなギャグにみな笑い、気恥ずかしくなるようなハッピーエンドに涙している。圧倒的な善意からアメリがしかける悪戯の数々は、はっきり言って犯罪だけどさ。それにしても場内は女の子たちでいっぱいだった。コロンの芳香で目がくらむ。空席はくたびれた中年男(私だ私)の隣にあるぐらい。敬遠されたかやっぱりー。

【情宣さかた裏版 Vol.7 2002年5月20日】

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