事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

歴史の責任

2007-10-29 | 国際・政治

Suga さて、同時多発テロが起こった2001年9月11日。以降わたしのメルマガもそっち方面に集中する。今回は地元ネタもからめて……

事務職員へのこの1曲
「Happy Birthday」 福耳(杏子・山崎まさよし・スガシカオ)
詞・曲 スガシカオ

事務職員になって、というか社会人になってラジオは全くといっていいほど聴かなくなった。チャート小僧だった昔(恥ずかしい)が嘘のようだ。おかげでトレンドからは取り残され、新人に食指が動くこともない。
だがある日、さくらんぼテレビのジングル(集まらないCMの穴埋め)で、舟下りの船頭さんが出てくるヤツのバックに流れている曲を聴いたときは焦った。ムチャクチャにいい曲だったのである。周りに訊いても誰も知らないし、これはもうTV局に電話するしか……とまで考えた時にふと気づいた。(当時の)校長の娘がSAYに勤めてたんじゃなかったっけ?早速きいてもらうと偶然とはおそろしいもので……
「あのビデオ、俺の娘作ったんけー」

おお。結局彼女が選んだその曲はFMで結構なヒットとなっていたスガシカオの「黄金の月」と判明。ったくラジオを聴いてないとこれだからな。今なら「夜空ノムコウ」を作った人、で一発なのだが。
 スガをお薦めするのは、長い広告代理店勤務がダテではないな、と思える嫌みなほどの頭の良さが社会人の耳に心地いいからです。もっとも、年末調整に堪能そうな芸能人ってのもなぁ……。
                                                     山形県教職員組合事務職員部報 №310 1999年12月10日

Kyoko ……それが今ではスガの新作はオリコン初登場1位。「夜空ノムコウ」のセルフカバーは効いたなあ、というような話をしたくて昔の部報を持ち出したのではない。今回はこの“校長の娘”の方のお話。この娘、なんと「双頭の鷲」「傭兵ピエール」の著者にして「王妃の離婚」で直木賞を受賞した鶴岡市在住の作家佐藤賢一と結婚してしまったのである。どひー。あの校長が直木賞作家の義父とは。なんとまあ。

 その佐藤が月1回山形新聞の夕刊に『古今東西』という連載を行っている。この10月15日掲載分が素晴らしかったので紹介したかったのだ。山形新聞のサイトに載っていればリンク一発でよかったのに、どうやらやってないようなので全文掲載。んーめんどくさいな。

       歴史の責任           佐藤賢一
アメリカで起きた同時多発テロ、その報復として始められたアフガニスタン戦争について、やはり私も思うところを述べずにはいられない。テロであれ、戦争であれ、まぎれもない悲劇であり、無念でならないからである。

 つとに指摘されるとおり、対立の軸はパレスチナ問題である。アラブ・イスラム教徒に関しては、すでに方々で語られており、ここでは他方のユダヤ人について、少し考えてみたい。私なりに公平に判断して、そもそものイスラエル建国は、やはり乱暴な話だった。そういう言葉を使うなら、まさに「ユダヤ原理主義」の仕業である。

Yamazaki  1948年、もう20世紀も中盤だというのに、紀元前の旧約聖書を持ち出してきたからだ。聖典に俺たちの土地だと書いてあると、見知らぬユダヤ人に強引に移住され、祖国を奪われたアラブ人の怒りたるや、想像に難くない。北方四島をロシアに奪われた程度でも、現に日本人は大騒ぎしているではないか。その理不尽な仕打ちを、圧倒的な武力で応援する国がいたら、まして恨まずにいられまい。アメリカがイスラエルを支持するのは周知の通り、穏健なユダヤ人がアメリカ市民として、この国に一大勢力を築いているからである。ユダヤ人を怒らせては、大統領は選挙に勝てない。ばかりか、連中は財界、政界、官界と進出して、過激派でも仲間は仲間だと、イスラエル支持を政府に強烈にプッシュするのだ。これでは過激な原理主義者を応援する、穏健なイスラム主義者の心情を、責められた義理ではなかろう。

 いや、違う、とアメリカ人は反論するかもしれない。ユダヤ人もイスラムもなく、これは国際社会とテロリズムの戦争なのだと。が、このテロという蛮行も、実はユダヤ人が元祖なのだ。イスラエル建国前夜、当時の標的はパレスチナ統治を放棄しない、イギリス帝国主義だった。ユダヤ過激派は現地の防衛委員会事務所、移民管理局、税務署、鉄道などを破壊した。なかでも46年、エルサレムでイギリス要人が宿泊していたキング・デイヴィッド・ホテルの爆破テロは有名である。が、このときはイギリスもアメリカも報復戦争などしかけていない。腹立たしい思いは同じはずなのに、どうしてユダヤ人には報復せず、あまつさえイスラエル建国まで容認したのか。様々に政治解釈は可能だが、私は欧米人の心理の底にはユダヤ人には強く出れないという一種の弱みがあるからだと考えている。

 イスラエル建国は実は単体では理解できず、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺の反動として位置づけられる事件である。戦勝国の論理では、ヒトラー政権の所業は絶対の悪だった。これを声高に非難しながら、当時の欧米人の本音といえば、かなり後ろめたかったに違いない。ユダヤ差別はイギリスでも、フランスでも、アメリカでも、どこでも行われていたからだ。ゲットーに隔離したり、異端審問の餌食にしたり、あるいはペストの流行まで、井戸に毒を投げられたとユダヤ人のせいにしたり、それは中世の昔からキリスト教徒に一貫してきた態度なのだ。そうした自分たちの醜悪な横顔を、ナチス・ドイツに極端な形で表現された後に、今度こそ抑圧から解放されたいとユダヤ人に立ち上がられれば、気まずさで腰が引けてしまう気分もわからないではない。が、だからといって、アラブ人にしわ寄せが来る筋だろうか。それが欧米人の歴史ならば、どんなに辛くとも欧米人みずからが、最後まで責任を取るべきではないのか。

Satokenichi  いずれにせよ、日本人には関係ない。あげくの戦争に荷担して、欧米人の後始末をしてやる義理もない。日本の旗が見えないと笑いたいなら連中には笑わせておけばよい。本当に馬鹿にされるべきは、自分で自分の尻も拭けない輩だからである。それでも他人の尻拭いをしたければ、その前に日本人は自分の歴史に、きちんと責任を取るべきだろう。かつて迷惑をかけたアジア諸国に、今度こそ尻ならぬ、晴れやかな顔を向けられるように。

……イスラエル建国については、とにかくイギリスが悪かった、と乱暴な括り方でしかとらえていなかったが、なるほどこんな側面もあったわけだ。ひとつ注目してほしいのは、佐藤が今回の事態を「同時多発テロ」と「アフガニスタン戦争(こう言い切ったのは佐藤しか知らない)」にはっきりと分けていること。私もそう思う。今回の戦争が始まったのは、断じて9月11日ではなく、アメリカとイギリスが空爆を始めた時点からなのだと。
(この項つづく)

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