ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
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No More「感動をありがとう!」

2018年07月12日 23時45分02秒 | Weblog
1993年10月、日本サッカー界において未曾有の激震が走った。
所謂「ドーハの悲劇」である。
未曾有とは些か大袈裟な表現かも知れないが、日本においてサッカーがプロ化され、代表が初めてそして最も世界に近づいたことを考えればそこそこ当てはまると考える。

アジア最終予選で夢破れ、多くの日本人が、サッカーファンが悲しみ肩を落とした。
そしてそこから始まったメディア共通の合い言葉がある。

「感動をありがとう!」

だがその合い言葉は、残念ながら現在でもテレビ界においては常套手段として用いられている。

ドーハの悲劇の後、テレビ各局はこぞって「感動をありがとう!」とばかりに、あの悲劇を持ち上げ特番を流した。
そして人々はそれに酔いしれ「残念だった」「惜しかった」「悔しいけれどありがとう」と言った。
自分もその一人だった。
これから先のフランス大会に向けた4年間のことなど殆ど考えることなく、ただ「ありがとう」で終わってしまっていた。

4年後のフランス大会はどうであったか・・・。
3戦全敗でグループリーグ敗退。
それでもテレビでは「ジョホールバルの歓喜」と題し、W杯そのものを忘れさせるほどの内容を流した。

日韓大会、ドイツ大会、南アフリカ大会、ブラジル大会、ロシア大会と連続して出場は決めているが、結果としてベスト16止まりだった。
W杯に出場できる国はわずかに30数カ国だ。
その中に日本が入っていることは素晴らしいことであると思う。
ヨーロッパや中南米の歴史ある国々から比べればまだまだ「ひよっこ」であるが、急激な進歩を遂げたことは確かだ。
しかし、既に6大会連続で出場しているのであれば、もう「感動をありがとう!」は不要だ。
ベスト16の壁を越えるのであればもうそんなものはいらない。

日本サッカー協会は大会終了後にW杯を終えての総括的なものをまとめ、次のステップアップにつなげている。
自分のような素人では全くわからぬ専門的視野で問題点を浮き彫りにし、その課題克服に向け取り組んでいる。
今大会の総括内容がどのようなものになるのかはまだ分からないが、今大会を含めれば6回分の総括があるわけだ。
じゃぁ過去の5大会分の総括が今大会に向けてどれほどの意味を成していたのだろうか・・・。

確かに成長はある。
個人技だってヨーロッパの国々に決して負けてはいない。
いないが、それはほんのごく限られたピンポイントだけのこと。
この20年間、日本代表チームを支えてきた唯一無二の強さは「結束力」=「組織力」でしかない。
個人技、高さ、パワー、そして必要悪の「狡猾さ」とか「小狡さ」においては強豪国には遠く及ばない。
同時に足りないのは「経験値」だ。
多くの選手が海外でプレーしているのであれば、必要悪の「狡猾さ」は身に染みて分かっているはずなのだと思うが、それでもそれらを潔しとしないところが日本人、即ち「サムライ」なのだろう。
それが良くも悪くも日本人としてのDNAなのだと考える。

経験値については、こればかりは選手だけを責めることはできない。
監督やスタッフ全員が必要とされる部分だ。
あらゆるケースを想定し、その局面局面に対応しなければならない。
「想定外だった」では通じない。
それが世界レベルでありワールドカップなのだ。

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なぁ~んて偉そうなことばかり勝手に綴ってきたが、批判や意見文句は誰にだって簡単に言える。
言ったところで誰に届く?
届いたところでどうなる?
こんなど素人などでは到底理解しきれないデータと分析を基にした詳細な総括文書には足元にも及ばないわけだし・・・。


ロシアW杯、4戦して1勝2敗1分け。
総得点6、失点7。
これがすべてだ。

だからもう「感動をありがとう!」はいらない。
日本代表が好きだから、強くなることを望んでいるから、そんな言葉はもういらない。