goo blog サービス終了のお知らせ 
goo

羅城門遺址・史蹟西寺阯


写真は、史蹟西寺阯の石碑。

羅城門は平安時代、平安京の中心を走る朱雀大路の最南端に位置した巨大な楼門で、西寺は東寺と共に平安京内に造られた朱雀大路を挟んで左右対称に造られた官立寺院です。
羅城門は平安時代の早い段階で荒廃し、西寺は消失を繰り返しながらも鎌倉時代までは大きな伽藍を有し、細々とは戦国時代まであったそうです。
現在は共に史跡を残すのみとなっています。

アクセス
共に京都駅から市バス208系統の時計回りの方(西大路駅行き)に乗ります。
羅城門は羅城門で、西寺は次の九条七本松で下車します。
羅城門はバス停を降りて1つ先の信号で九条通を渡ります。
すると正面に矢負地蔵尊のお堂があります。
その右手奥の正面に唐橋羅城門公園があり、そこに「羅城門遺址」の石碑が建っています。
西寺は九条七本松のバス停で下車し、降りたの先の信号で九条通を渡ります。
そのまま七本松通を直進すると、2つ目と3つ目の交差点の間の左手に唐橋小学校があります。
3つ目の交差点を左折したら右手に大きな唐橋西寺公園があり、公園中央の小高い丘の中央に「史蹟西寺阯」の石碑があります。

現在は公園の中央に石碑があるのみです。
この石碑は羅城門の北西端あたりになります。
公園横の道は暗渠で、羅城門倒壊後に鍋取川が流れていた時期もありました。
恐らく川が何度も氾濫したため、ここは掘ってもなかなか遺跡が出ないそうです。
なので羅城門跡は朱雀大路と九条大路の相対的な位置関係で、「この辺りだろう」と決められているそうです。
門自体の大きさも諸説あり、幅80mの朱雀大路(今の御池通が幅員50m)に対して目一杯あったとか、門幅は50mで左右は添塀であったとか。
しかし少なくともその大きな横幅に対し、縦幅が20m程度と薄く、強風で倒壊したという記述が残っています。
また東寺にある兜跋毘沙門天像は、羅城門の楼上にあったとの伝承もあります。

東寺は空海、西寺は守敏(しゅんびん)に下賜されたと云われています。
伽藍配置は東寺は五重塔が東側にありますが、西寺は左右対称で西側にあったそうです。しかし他の伽藍は異なり、西寺のワンサイズ小さかったそうです。
現在の場所と比べると、この公園の南端が金堂、中央の小高い山辺りが講堂だったようです。今は唐橋小学校がある南側ももちろん西寺の境内。
近年の発掘で公園南西の住宅街から、五重塔の基壇を掘った後が確認されたみたいです。
中央の小さな丘は「コンド山」と云われており、西寺がなくなった後も瓦や礎石などが土から出てきたものが、なんとなく集められて小山のようになっていたそうです。
そこに昭和の造成でさらに盛り土をして今の形になったそうです。
山の上にある礎石も元からそこにあったものではなく、周辺の造成で出土したものを取りあえずそこに置いたものだそうです。

公園の北東角には現在、鎌達稲荷神社が建っています。


コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 2023 3/10の... 2023 3/10の... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。