「佐喜眞美術館」訪問

2014年04月11日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「米軍普天間基地」に隣接する「佐喜眞美術館」>

以前から気になっていた「佐喜眞美術館」に行ってきた(沖縄の知人である高良さんが、「佐喜眞美術館」の館長「佐喜眞道夫」さんと、縁戚だと聞く。以前、北中城の「旧家のお庭で」行われるパーティで、お会いしたが美術館には訪問していなかった・・・)。

先日の「古民家食堂会」で、高良さんから「明日、瀬崎さんを誘って訪問しよう!」という話になり同伴した。

「古民家食堂」で、ランチを食べ、瀬崎さんと待ち合わせする。

「古民家食堂」のある南風原から、美術館のある宜野湾市上原まで、車で30分くらい。

県道330号線から、一筋入ると、静かな住宅街の中に美術館があった。

月曜まで開催されていた「沖縄を描いた画家たち展」は終わり、本日から「利根山光人展」に替わっていた。

利根山光人(1921~1994年)画家としての教育は受けず、1951年前衛画家として活動を開始。1959年メキシコに渡り制作活動を行う。その後、西欧を訪れピカソ、ミロに会う。1972年・1987年メキシコ政府より文化勲章を受章。1985年日本芸術大賞受賞。

版画作品の「ドンキホーテ」や「闘牛」の作品の中から、私は、「メキシコ・インカ」の影響を受けた、単純で明るい版画に興味を惹かれた。

常設展示の「沖縄戦の図」(丸木位里・丸木俊)の原画に圧倒された後、館内にある「小さな喫茶店」で、館長の佐喜眞道夫と我々3名。1時間くらい話をさせて頂いた。


▲<「屋上」にある「6×23階段」(沖縄戦終了日6月23日を表現している)>


▲<「6×23階段」の最上段から「米軍普天間基地」は、直ぐ眼下に見える>


▲<丁寧な対応をして頂いた館長と、「利根山光人」さんの作品前で、記念写真を撮影させて頂く>


▲<「美術館」入口の前庭にある「石の声」のオブジェ跡>
※「石の声」1996年、この場所に沖縄の高校生達が沖縄戦で亡くなった人と同じ数、23万6095個の石に1つ1つ番号を書き込んで積み上げた。