彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

鎌倉へ

2010年07月11日 | その他
ネットのニュースを読んでいたら、3月に折れた鶴岡八幡宮の大銀杏の枝を、一口千円の再生援助金を出すことで分けて貰えるとの記事を目にしました。

期間は今月いっぱいだったのですが、管理人の予定では今月鎌倉まで行ける日を考えると、あまり余裕はありませんでしたので、早いうちに行く事にしました。


鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府にとって重要な場所であり、また三代将軍源実朝が暗殺された場所でもある事は以前にも紹介しました。
『鶴岡八幡宮暗殺事件』

そして、井伊家には直接関係ないようにも思えますが、井伊家の中にはこの鶴岡八幡宮で弓始めを行った人物が『吾妻鏡』に登場しますし、鎌倉幕府に奉公していた以上は何か時々に鶴岡八幡宮で大銀杏を見上げていたと思われます。


実朝暗殺事件が起きたのは承久元年(1219)1月27日ですので、800年ほど前には既に人の身が隠せるほどの太い木だったことが解ります。
そんな歴史の大きな事件の目撃者であり生き証人でもあった大銀杏が2010年3月10日に倒壊しました。

これは神社の関係者さんや歴史愛好家だけではなく、多くの方のショックとなり再生のための動きが起こったのです。

その結果、折れた木の隣に若い芽を移す取り組みも行われました。

折れた木の向こうに見えるのが新しい芽を植えた場所です。

こうして御神木である大銀杏の再生の寄付を募る必要もあり、また大銀杏を愛して来られた方々の要望もあったので今回の動きとなったそうです。

そんな思いをしっかりと受け取ってきました。

管理人は、地元歴史愛着家とも自称していますが、根っからの歴史愛好家です、歴史は現場や物証よりも資料として文字に書かれたことで進むことが多いのが現状ですが、ここに文字ではなくても歴史を見た生き証人がいる。
この枝は、約800年ほど前に、身も凍るような雪の中で重要な歴史に立ち会った物の一部であり、千年近く信仰を集めた御神木でもあります。
この一部を受けるのは、歴史を学ぶ者にとしてどうしても無視できない物であり、居ても立っても堪らずに訪問し、受け取った物の重みを改めて感じます。

井伊家だけではなく、もしかしたら管理人のご先祖様の誰かもこの木を見上げたのかもしれませんね。