彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『龍馬が残したモノ!』講演聴講報告

2010年07月06日 | 講演
『ひこね市民大学講座2010 歴史手習塾』
セミナー3「NHK大河ドラマから見た歴史」
第1回目の講座として『龍馬が残したモノ! ぼくの龍馬・わたしの龍馬・「本物」の龍馬』と題された講義が開かれました。

講師は法政大学講師で『龍馬伝』時代考証補佐の佐藤宏之先生。


『龍馬伝』の映像を使いながら、龍馬という人物の実態や龍馬像が出来上がった経緯など、坂本龍馬について様々な考証をされました。

とくに龍馬の人生を紐解きながら、6つの龍馬伝説の出来上がった経緯も資料を使いながら説明されたした。
・龍馬の生誕時に背中に怪毛が生えていた事
・北辰一刀流免許皆伝
・勝海舟の弟子となった時期
・神戸海軍操練所の塾頭だったのか?
・薩長同盟での役割
・船中八策の謎

などです。
例えば北辰一刀流については、龍馬は『北辰一刀長刀兵法』の目録を受けていて、この中に「家流始之書」と書かれているので、これは免許皆伝とは違うとの話などもあり、興味深かったです。
また司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で描かれた龍馬像についてもお話されました。

講演後に、佐藤先生に質問をしましたので書きます。

(管理人)
 大河ドラマなどの龍馬像はいろいろあると思うのですが、僕は坂本龍馬については赤松小三郎のイメージが凄く重なってると思います。小三郎は中村半次郎が暗殺したので、薩摩藩が出しにくいので龍馬に小三郎の業績も乗せたのかなと思っています。
 そういうイメージでは龍馬は色んな人のイメージが入っているのではないかと思います。
(佐藤氏)
 そうですね。それは言えると思います。
(管理人)
 日露戦争時の霊夢にしても、明石元二郎の配下で働いていた漆原松吉が「あれは、(明石)のスパイ活動を消すために田中光顕が言いよった」という話を残したとも聞いたことがあるので、本当の龍馬像はどうなんでしょう?
(佐藤氏)
 その時々の社会状況や政治状況がかなり影響していると思います。龍馬は途中で亡くなっているので悲劇性と、「その後どうなるか?」との妄想ができるところが、色んな像の増幅
に繋がってると思います。
 ですから、色んな考えがあると思います。
(編集長)
 私は直弼は悪人ではなく大悪役だと思います。直弼がいたからこそ新選組や幕末の10年の歴史に繋がると思います。直弼が全てのスタートのイメージがあるのですが、先生から見る井伊直弼像はどうですか?
(佐藤氏)
 ヒールというより開明的な大名という位置づけです。井伊直弼は開国をして大きな動きを作っていくわけで、弾圧はありますが、直弼がいたからその後の明治維新ができたスタートだと思います。
(管理人編集長)
ありがとうございました。