都心では、街にエアコンの排気が流れていないときがほとんどないのではないかと思えるような、人工的な環境があたりまえになりつつあります。夏場は百合ちゃん(小池大臣)が半そでスーツに柄杓持って打ち水プロジェクト、などと、ナチュラルなオフィス環境を取り戻す運動が注目されました。冬場も、極薄素材のジジババシャツが開発されたり、ちょっとダンディなウールのスーツがお目見えしたり。
小さな努力は認めるけれど、やっぱり季節の変わり目には、過度のエアコンディショニングが目に付きます。
春から夏と、秋から冬、の変わり目は特に目立つのです。衣服がようやく秋・冬ものに変わろうというころに、さっそうと極寒モードで暖房が入ったり、梅雨寒と言われる肌寒い日が続いても、カレンダーの数字が変わったとたんに、猛暑対策のごとく冷房が入ったりします。
もう何年も何年も何年も、こんな人工アイランドに暮らしてきて、私は思うのです。
「そもそも温帯に暮らす私たちが、命に危険があるわけでなし、建物の中の温度を機械で好きなようにしようなんていうこと自体、人類の思い上がりじゃないのか?」
とりたててこんな事を言いたくなったのにはワケがあります。
いまの職場がある建物は、皇居に面したそれはそれはスバラシイ立地環境のビルなのですが、どうやら相当に古い。管理室で集中制御しかできないエアコンから各フロアに冷気や暖気が流れるようになっています。同時に、それとは別に、テナントが個別に設置しているエアコンもあります。夏場、集中制御の冷房が寒すぎるときは自前エアコンで暖房を、冬場、集中制御の暖房が暑すぎるときは自前エアコンで冷房を稼働させるのです。
なんたる不毛。
クールな季節はクールに、ウォームな季節はウォームに過ごせばいいじゃないか。
1℃や2℃の微調整なんか、着るものを増やすか減らすかで十分じゃないか。
機械に頼るのなんか、TOO COLD か TOO HOT になったときでいいじゃないか。
熱波や寒波で死人が出る国に比べたら、あまりにも不毛すぎはしないか。
こんなことのために、エアコンディショニングの科学技術が生まれたのでしょうかねぇ?
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