「師」という漢字のなりたちを辞典で調べるとこう書いてある。
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「●」(集まり、集団)と、音を示す「○」とを合わせて、
人々の大集団の意味をあらわす。
そこから、「みやこ」「軍隊」「大衆を導く人」の意味に使う。
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(角川書店「漢和辞典」より。 ●は左側、○は右側の部首)
「師」と呼ぶべきは、人々の大集団を導けるほどの人ということだろう。
そんな指導者が身近に、二人もいてくださっている。
研究と芸、二つの道でそれぞれお世話になっているけれど、
お二人の器の大きさって、なんだか種類がちょっとちがって面白い。
研究の師。
上司と部下として出会って以来、
指導教授と社会人学生、NPOの理事長とボランティア、と、
立場を変えたり重ねたりしながらお世話になり続けている先生。
食欲の戻りが遅くってあんまり食べられなくって、と打ち明けたときの、
先生の反応は。
「そりゃあ困ったな。
まあでも、私みたいに食欲ありすぎても困っちゃうんだけどな、わっはっは!」
芸道の師。
言わずもがな、デキゴコロで箏と三絃を習い始めて以来、
ながながと、名取となり、大きな演奏会に出してもらえるようになり、
ついに準師範となるところまでお世話になり続けている師匠。
じつはこうこうこういう出来事がありまして、と洗いざらい話したときの、
師匠の反応は。
「ええっ、そんなの、私だったら怒っちゃうわ!
そういうイヤな目に遭ったときはね、自分は決して人に同じことをすまいと教わった、って思うといいわよ」
全然ちがうみたいで、共通しているのは。
怒りや悲しみや憎しみのようなネガティブな感情、
そういうものすべてひっくるめて踏み台にする気持ち。
そうだ。
いつもヒイラギは前を向いているのだった。
時間は、止められないのだから。