古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

ふり返って思うこと

2023年12月30日 02時13分39秒 | 古希からの田舎暮らし
 何をふり返るのか。いうなれば「自分の人生を」というところです。
 2022年の月ごとのまとめを見ていたら、「あの戦争」の本をよく読んでいます。
〇 3月~  阿部牧郎 『神の国に殉ず』(小説 東条英機 と米内光政) 文庫本なら三分冊
 歴史の本とすれば書けないけど、「小説」ということにすれば書ける「あの戦争の内情」がよくわかりました。
〇 5月~7月  船戸与一 『満州国演義』(全九巻)
 作家・船戸与一が病気(癌)に迫られながら「あの戦争での軍部の横暴」を書きあげた「大作」です。満州国とありますが、インパール作戦やフィリピンの戦いも、日本のあの15年の戦争全部が小説として書かれています。
〇 早坂暁 『戦艦大和日記』(全五巻)  
 病気に迫られながら日本が仕掛けた日本軍部の横暴を、残る力をふり絞って書いています。
 
 今年はあの戦争の本をあまり読んでいません。それを反省するのではなく、「あー、そのほうの本を読まなくなったんだな」と自分の人生をふり返っています。
 ぼくは昭和12年に生まれました。日本が中国と戦争をしはじめた年です。当初は『支那事変』と名付けていました。あの戦争の敗戦は昭和20年8月。ぼくは7歳で国民学校(小学校)2年生の夏休みでした。
 夏休み中の8月15日昼ごろ、ぼくは針金を輪にして蜘蛛の巣をはりつけ、蝉をとっていました。夏の、晴れた暑い日でした。お昼になって家に帰っていたら、お隣りからおばあちゃんが帰ってくるところでした。ぼくを見るとおばあちゃんは「啓一や。日本は負けただぜ。おまえかたきとってごせえよ」とむせび泣きました。うちのラヂオが故障していて、お隣りにラヂオを聴きに行って、「あの放送」を聴き、帰るところだったのです。
  学校では日本の戦争や軍部の横暴の歴史は習いませんでした。大人になってから本を読み、日本の戦争を知りました。日本がひどいことをしたのを、軍部が国民を「我がモノのようにつかった」ことを知ったのは大人になってからです。
 ぼくと同じ年の子供たちが空襲で逃げまわり、疎開し、親を失い、路頭に迷い、栄養失調で死に、「なんで自分は、親といっしょに死ななかったか」と思い …… 。そんな戦争を、20代のときから本で読んできました。
 国家がそんな目に国民をあわせたことが納得できませんでした。戦場でも、日本軍の下っ端の兵隊はひどい目にあわされました。
例えば「富永恭次中将」です。多くの若者を怒鳴り、殴り、特攻に飛び立たせながら、部下を放り出したまま、フィリピンから飛行機で敵前逃亡し、台湾に逃げました。そのことを上記の作品は書いています。
 敵前逃亡なのに、なぜ彼は軍事裁判にかけられず、死刑に処せられなかったのか。戦後も恩給をもらって生きたのか。そんな上級軍人がいっぱいいた。国民が拠出した資材や食料を敗戦後隠匿してもうけた軍人もいた。「そんな国になっていることを許せない人」がいるのです。ぼくも「許せない」と思います。
 そんな思いをかかえていますが「執着がよわい」。ぼくは「そんな生き方だったんだなあ」。 
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