古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

故郷の親友が亡くなりました。

2019年06月13日 01時38分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 ほんとに親しかった故郷の同級生が亡くなりました。
 奥さんが電話で知らせてくれました。一番の親友でした。帰省すれば出会うようにしていました。手紙や電話で交流があり、彼の存在をいつもこころにとめていました。ぼくのブログを「毎日読むのを楽しみにしている」と話してくれました。〈良き友〉の存在はぼくのこころを支えてくれました。

 きのうは好天で、久しぶりに床を拭いてワックスをかけました。「かけよう」と思い立ってから半年以上たっていました。その作業の途中で彼の死を知り、思いがあふれて、どうしようもありません。
 たくさんの思い出の中で二つだけ。

〇 2006年12月4日に、今の田舎の家に引っ越しました。「何はさておきウッドデッキを作ろう」とすぐ工事に取り掛かりました。大晦日も元旦も工事をして1月末にやっと出来上がりました。自分では「冥途に行ってからも自慢できる生涯の大工事」をした気分でした。
「田舎暮らし」のスタートにあたって、親しい人たちに手紙を書きました。「田舎暮らしのスタートを見てください」と。親友は一番に反応して、2月はじめに鳥取県倉吉市から泊りに来てくれました。田舎の新居の「最初のお客さま」でした。
 元気で、大きな車に乗り、「帰りは2時間半で倉吉に帰った」と電話をくれました。
〇 1960年4月、22歳のぼくは西宮の中学に赴任しました。当時は教師の仕事の中に『宿直』というモノがありました。学校に泊まるのです。宿直室という部屋があって、そこに一人で寝ます。西も東もわからない田舎者が、1人で学校に泊まる。『宿直日誌』というものがあり、見ると巡回時間と異常の有無を記入するようになっています。4月15日にぼくの宿直当番がまわってきて、日誌と懐中電灯と職員室の鍵を渡されました。
 心細くて、どうしていいかわかりません。思いついたのは親友に泊まりに来てもらうことでした。親友は当時、大阪の日本交通に就職していました。彼に電話して「阪神西宮で下りて、西宮戎神社の前を…… 」と頼んで泊まりに来てもらいました。夜中にはいっしょに暗い廊下を見回ってもらいました。翌朝、彼は学校から大坂に出勤しました。(ほどなく彼は田舎に帰って教師になりました)
 学生時代も思い出すことがいっぱい。二人でトランプで徹夜したり。語り合って徹夜したり。酔ってぼくが大声でわめくのに付き添ったり。 …… 。
  
 
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