虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

尸居龍見 雷聲渕黙

2009-03-31 | 日記
「尸居(しきょ)して龍見(りゅうけん)し、 雷聲(らいせい)あり、渕黙(はんもく)す」と読むのだろう。こんな言葉、知らなかった。

尸とは、「しかばね」の意味、しかばねのようにじっと不動でいながら、龍のように変幻自在に活動し、深い渕のように静まりかえりながら、雷のとどろきのように響く。

先日、成正寺で入手した」最新号の「大塩研究」第60号の「この言葉」という巻頭のページに出てきた。この文字を書いた「大塩の書」が出ていた。

この言葉は、荘子の外篇、「在宥篇」にある言葉だ。大塩は、かなり荘子を読み込んでいることがわかる。「荘子」を好む儒者は多い。いや、儒者にとって、荘子は必読の基本文献なのかもしれない。

清河八郎も、自分の号を「木雞(ぼっけい)」(荘子外篇の達生篇に出てくる)としているように、荘子をよく読んでいる。

頼山陽も荘子を愛しているが、荘子を講義している時に、母親の死亡の知らせがきたので、それ以後は、荘子を手にしなかったそうだ。なにせ親孝行な人だから。


画像は、成正寺の境内に立つ大塩父子の墓。