「尸居(しきょ)して龍見(りゅうけん)し、 雷聲(らいせい)あり、渕黙(はんもく)す」と読むのだろう。こんな言葉、知らなかった。
尸とは、「しかばね」の意味、しかばねのようにじっと不動でいながら、龍のように変幻自在に活動し、深い渕のように静まりかえりながら、雷のとどろきのように響く。
先日、成正寺で入手した」最新号の「大塩研究」第60号の「この言葉」という巻頭のページに出てきた。この文字を書いた「大塩の書」が出ていた。
この言葉は、荘子の外篇、「在宥篇」にある言葉だ。大塩は、かなり荘子を読み込んでいることがわかる。「荘子」を好む儒者は多い。いや、儒者にとって、荘子は必読の基本文献なのかもしれない。
清河八郎も、自分の号を「木雞(ぼっけい)」(荘子外篇の達生篇に出てくる)としているように、荘子をよく読んでいる。
頼山陽も荘子を愛しているが、荘子を講義している時に、母親の死亡の知らせがきたので、それ以後は、荘子を手にしなかったそうだ。なにせ親孝行な人だから。
画像は、成正寺の境内に立つ大塩父子の墓。
尸とは、「しかばね」の意味、しかばねのようにじっと不動でいながら、龍のように変幻自在に活動し、深い渕のように静まりかえりながら、雷のとどろきのように響く。
先日、成正寺で入手した」最新号の「大塩研究」第60号の「この言葉」という巻頭のページに出てきた。この文字を書いた「大塩の書」が出ていた。
この言葉は、荘子の外篇、「在宥篇」にある言葉だ。大塩は、かなり荘子を読み込んでいることがわかる。「荘子」を好む儒者は多い。いや、儒者にとって、荘子は必読の基本文献なのかもしれない。
清河八郎も、自分の号を「木雞(ぼっけい)」(荘子外篇の達生篇に出てくる)としているように、荘子をよく読んでいる。
頼山陽も荘子を愛しているが、荘子を講義している時に、母親の死亡の知らせがきたので、それ以後は、荘子を手にしなかったそうだ。なにせ親孝行な人だから。
画像は、成正寺の境内に立つ大塩父子の墓。