虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

一心寺

2008-12-21 | 日記
一心寺も人が多かった。ここは施餓鬼の寺、骨仏の寺とも呼ばれるそうだ。宗派を問わず、納骨を受け入れてくれ、その骨で10年に一体仏像を作るそうだ。わたしの知人にも、墓は作らずに、ここに親の骨を納めた人もいる。

わたしが一心寺で知っているのは、あの大塩平八郎関係でだ。天保7年、一心寺事件というのが起きる。一心寺は家康との関係が深く(大坂の役のときは、ここに陣を置いた)、一心寺の僧侶がここに東照廟を立てようとして、東組与力を抱き込み、東町奉行大久保讃岐守を経て幕府に上申。しかし、幕府の寺社奉行が調査したところ、一心寺僧侶の悪事が露見、大塩の同僚や門弟たちも江戸に呼び出され吟味を受ける。大塩の叔父の大西与五郎などはその心労から痴呆状態になったそうだ。この事件で、東組奉行大久保はやめさせられ、あの跡部山城守が翌年、新奉行として赴任することになる。大塩もこの事件を契機に謹慎し、対客を断っている。

ここに来る人は京都や奈良のような観光寺を眺めに来るというよりも、熱心に先祖供養をしにくる人が多いようで、ここもやはり大阪の寺という感じだ。
境内には、戊辰戦争で戦死した東軍慰霊碑、八代目市川団十郎(江戸時代最高の歌舞伎役者だ)の墓、本多忠朝の墓もあった。本多忠朝の墓は「酒封じ祈願」の墓とある。酒をやめたい人はここで祈願すればよいわけだ。なんでも大坂夏の陣で本多忠朝が戦没したとき、自分の酒癖の悪いのを悔い、将来、酒のために身を誤る者を助けんと誓って死んだそうだ。
わたしは、そんなに酒癖はわるくないので、おがまなかった。

四天王寺

2008-12-21 | 日記
朝、家を出た。8時半に到着。朝早くなら駐車場もすいているだろうと思ったのだが、なんと駐車場はいっぱいでズラリと並んで待っている。出直そうと思って帰ろうとしたとき、たまたま空いてるパーキングがあったので、駐車する。

ゾロゾロとたくさんの人が歩いている。どうも四天王寺をめざしているようだ。門前、境内はテントばりのお店が立ち並ぶ。拝観料はただ。今日は、お大師さんの日なので無料なのだそうだ。だから、縁日の店が立ち、人が多いのか。
五重塔の中も入れ、上まで階段で登れた。こんなに人が多いお寺は大晦日や正月以来だ。広い境内に物売り(衣服が多い)の店が並ぶのはいかにも庶民の四天王寺という感じだ。

金堂、五重塔、宝物館など一通り見たあと、高橋多一郎父子の墓を探す。元三大師堂の境内の墓地だ。元三大師堂の前にあるのですぐわかる。高橋多一郎の墓の向かいには、坂田藤十郎の墓もあった。

高橋多一郎は、水戸藩士で桜田門事件に関わり、この四天王寺で切腹して果てる。49歳。息子庄左衛門19歳も切腹。切腹する前に後始末の費用として62両をここの寺侍に渡していたので、寺侍がそのお金で墓を立てたそうだ。

四天王寺は聖徳太子の創建とされる。楠正成がこの四天王寺に入り、聖徳太子の未来記(予言)を読んだ、という一節が太平記にあったのではなかったろうか。

パーキングが一心寺のそばだったので、一心寺にも寄った。ここから歩いて五分だ。通天閣もビルの間から見えた。