虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

田中正造が好きな孟子

2006-10-20 | 読書
田中正造に「好める史的人物」という晩年の文がある。

日本からは、三浦屋高尾。吉原の遊女高尾太夫だ。「彼女は金銭のために精神を売らざりし。彼女が史的人物なるや否やは知らず、もししからざれば、願わくば、これを史に加えよ」と書く。

西洋からは、ドリウ(英国の学者)。この人は若き日の正造の愛読書だった「西国立志篇」に出てくる学者らしい。

東洋からは、孟子。やっぱり、だ。
梁恵王篇から15と22の文章を掲げている。

15とは、孟子の中で最も有名な文章で、こんな内容。

ある国の王様が孟子に聞く。「昔、殷の湯は、臣下でありながら君主の夏の王を追放し、周の武王は、臣下でありながら、君主の殷の王を討伐した。臣下でありながら、その君を誅してゆるされるものだろうか」
孟子は答える。「仁をそこなう者を賊といい、義をそこなう者を残という。残賊の人は、もはや、君ではなく、一夫である。一夫をこらしめたとは聞いているが、まだ君をこらしめたとは聞いていない」

この文章で、孟子は革命を認めたとして、日本の国体にはあわない。孟子の書物をのせた船は日本にむかうと沈没する、などと昔はいわれたそうだ。

22は、こんな話。ある国の王様が「わが国は小国で、大国に貢いでも、相手国からの侵略をまぬがれそうもない。どうしたらいいだろう」と孟子に聞く。
孟子は昔のある大王の話をする。その国に蛮族が侵入し、いろいろな物を貢いでも侵略してこようとする。結局、蛮族が求めているのは、その国の土地。で、王は臣下に言う。「君子は、その人を養うゆえんのものを以って人を害せず」という。この土地は、もともとこの国の人を養うゆえんのもの。その土地のために蛮族と戦争をして人々を殺してしまったら申し訳ない。みなさん、わたしは去る。わたしがいなくても心配することはない。新しい領主のもとでもやっていける。王は土地を去り、別の土地に移住した。人々は、この王を「仁人なり。失うべからず」と人々も王のあとについていったという話。

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