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虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

清河八郎の新史料発見

2010-07-18 | 歴史
コメントで清河八郎の新史料が発見されたことを教えていただいた。
東京新聞。

以下、ウエブの記事をコピー。(いいのだろうか?よくわからんが)

「「町人切り」見直す新資料 清河八郎


 幕末の尊王攘夷(じょうい)派の中心人物で、坂本竜馬や新選組隊士らともかかわりがあった清河八郎(一八三〇~六三年)に関する新資料が、東京都千代田区の区立四番町歴史民俗資料館の収集資料から見つかった。清河は小説や映画などで「酔って町人を切り幕府に追われる身となった」とダーティーなイメージで描かれることが多いが、新資料では人を切る前日に江戸町奉行所の同心らに捕縛命令が出ていたことが分かった。専門家は「切った相手は幕府の密偵だったとする“わな説”の方が真実かもしれない」との見方を示している。 (加賀大介)

 資料は北町奉行所の同心山本啓助の手帳。一八六一年七月、清河探索のため故郷の鶴岡(山形県)や新潟方面へ出張した際の状況が記録されている。各藩の役人と情報交換しながら逃亡先を絞り込んでいく過程や、清河の両親の取り調べの様子、清河の特徴を記した人相書きなどのほか宿泊先や経費なども細かく書かれている。

 通説では、同年五月二十日、清河は酒を飲んだ帰りに日本橋で「町人風の男」にからまれて無礼討ちにし、人を切ったことで手配人となったとされる。

 しかし、捕縛命令は、冒頭部分に「五月十九日に、南北奉行所で打ち合わせの上、召し捕るよう命令が出た」と記述があり、対象者として清河ら八人の名前があった。

 幕末史に詳しい早稲田大講師の西脇康さん(54)は「清河は幕府から危険分子とみられていた。二十日には大捕物があり、その際に役人が切られたのだろう。逃がしてしまった恥を隠すため、通説のような話が広まったのではないか」とみる。同資料館の文化財調査指導員滝口正哉さん(37)は「男は清河たちを挑発する役目だったのかもしれない」と話す。

 清河の研究はあまり進んでおらず、清河八郎記念館(山形県庄内町)の斎藤清館長は「無礼討ちの前に幕府が捕縛を命じていたという資料はこれまでなかった。研究が進むきっかけになれば」と期待する。

 資料館では、今年十月に開催予定の幕末をテーマにした展示の中で、手帳を公開する。

(東京新聞)」

以上コピーおわり。

無礼討ちにした町人風の男は、幕府の密偵であろうとは、これまでもほぼ推察され、小説などでもそのように描かれてきたけど、それに史料的証拠が出てきたわけだ。

当時、大江戸で幕府に最も危険視された人物が清河八郎。町人風の男は故意に八郎につきあたり、避けようとすると、杖でうちかかってきたらしい。八郎は最初は自殺を考えるが、仲間からとめられ、逃亡生活が始まる。

幕府が暗殺した男って、清河八郎と坂本龍馬のほかにだれかいるのだろうか(わたしは知らない)。
龍馬の場合は、一応、幕府暗殺説が定説だが、薩摩藩説など諸説あってはっきりしていないが、清河八郎の場合ははっきりしている。幕府老中の命令だ。しかも、1度ではなく、第一次暗殺隊、第二次暗殺隊とくりかえしている。幕府には、よほど許せない男だったのだろう。
近藤勇や土方歳三が最初に与えられた仕事が清河八郎暗殺だったが、失敗。
清河八郎の暗殺者が坂本龍馬の暗殺者と同じだった、というのも不思議だ(二人とも佐々木只三郎が関与)。



しかし、八郎は幕府に暗殺されず、もう少し長く生きたとしても、薩長維新政権でもきっと邪魔者になり、相楽総三のように殺されたかもしれない。

それにしても、早く史料公開してほしい。千代田区立四番町歴史民俗資料館なんて、その存在すら今まで知らなかった。




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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (酒飲み)
2010-07-20 23:48:52
清河八郎さんには初めてお目にかかりました。しかし、なかなかいい面構えをしておられますな。気に入りました。よろしくお伝えくださいまし。
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Unknown (荘太郎)
2010-07-21 18:19:29
コメントかたじけないです。
清河先生には、拙者から伝えておきます。先生も酒豪ですから、きっとお喜びになると思います。ただし、幕府の密偵にはくれぐれもご用心めされい。
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逃亡生活の足跡を (笹ずきん)
2011-01-17 14:07:34
清河八郎という魅力的な日本男児、町人風を斬ったあとの逃亡の足跡を辿っております。御存知のことあらば、続きをぜひ!
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Unknown (荘太郎)
2011-01-17 18:48:57
笹ずきんさん、コメントありがとうございます。ひょっとして、「虎尾の会」同志の方ですか、それとも八郎の後を追う密偵かな(笑)

八郎の逃亡話は、八郎自身が書いた「潜中始末」にそれはそれは詳しく書いています。これはおもしろいです。密偵を斬った前後から、寺田屋義挙のために大坂の薩摩藩邸に潜むまでを時間を追って書いているのですから。草莽の志士(それも最も革命的な志士)の活動記録なのですから貴重です。なぜ、これを出版しないのか不思議なくらいです。岩波文庫に入れるべき!

時間があったら、ここで紹介したいのですが、今、貧乏暇なしで、なかなか時間がとれません。
残念です。また、いつか。

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