虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

宝暦6年阿波の一揆

2007-03-24 | 一揆
パソ通時代の過去ログの掲載。

宝暦6年阿波藩百姓一揆
( 8) 98/04/25 23:23 03502へのコメント

みなさまぁ、まいど藤五郎観光をご利用くださいましてありがとう
ございます。まもなく、阿波徳島でございまぁす。阿波の名産は・・
(客)阿波女!やさしくて働きもので、阿波女をヨメさんにすると、
   男は遊んでられるということやで。阿波踊りもうまいし。

・・・わたくし、阿波の名産のお話しをしていま-す。
(客)名産といったら、スダチやがな!
スダチ、当たりですね。でも、それは明治になってからで、江戸時代は、
藍(アイ)ですのよ。阿波の藍といえば全国に知られていたのですよ。
(客)ねえちゃん、アイってなんや?
藍って草なんです。藍から藍玉にして、藍玉から、青色の染料ができる
のですよ。
(客)なんや、食えんのかいな。あほくさ。
お客さま、すこしおだまりになってくださいね。わたし、これから阿波の一揆の
お話をしますからね。
(客)はいはい。
はい、は1回でいいのよ。では、まず、日本史年表からね。

「宝暦6年、阿波徳島藩の農民、藍方産物会所の専売に反対し、一揆をおこす」
とあります。
徳島藩としては領内でとれる藍を保護奨励し、その収入を重要な財源にしていまし
た。
保護奨励といえば、聞こえはいいのですが、特定の業者以外の取り引きを禁止、売り
手買い手から税金をとったり、まあ、藩と藩に結び付いた特定の商人が利益が受ける
ようになったのね。以前は比較的自由に売買できる余地もあったのやけど、株組織
なんかもできて、藍を作る農民は藩の専売制が強まるにつれて、生活が苦しくなる
のよ。そこで・・・。
(お客)うん、そこで?会所のうちこわしかい。がんばれ--!

う--ん、そうじゃないのよ。わたし、さっき、「百家伝」を読んで、ちょっとがっか
りしたのだけど、うちこわしも集団の闘いもないのよ。
(お客)なんやそれ。なにもせんかったの?
いや、あちこちの村の神社に村人が大勢集まったのよ。神社では鐘をじゃんじゃん鳴
らし、そして、当然ガヤガヤ騒いではいて不穏な情勢ではあったのよ。でも、村役人
さんなんかが説得に来るとおさまって何事もなく、帰ったみたい。
(お客)なんや、それだけかいな。
あと、檄文も回したのよ。みなみな、藍の問題につき、何日にどこの河原に集まろう。
この回文を村々に回せって。でも、実際には集合することなく、終わったの。
役人がすぐ手を回したせいかもしれないけど、この檄文を書いた思われる5人の人が
死刑になったわ。

(お客)なんだ、じゃあ、不発かよ。
う--ん、どうでしょう。阿波の男の人って優しいから、あちこちの神社に男どもが集ま
る、檄文を出す、それだけで、行動しなくても、十分デモ行為になったとも考えられなくて?実際、5人が死刑になったあと、藍玉の株も廃止になったみたい。
実際に暴力を見せて、領主に反省させることもあれば、おこるぞ!という意思だけ見せて反省させることもできるし。でも、わかんないわ。阿波は百姓一揆が多かったそうだから、この例だけで、阿波男のやり方は判断できないわね。
この死んだ5人は明治になって五社神社ができて祭られているらしいわ。

お客さん、がつかりした?もう少しおもしろい話あるのよ。
このあと、徳島藩は藩政改革を始めるのよ。この一揆も影響しているわ。
それがね、蜂須賀重喜といってね、奥州佐竹の2万石の4男から迎えた新殿様なのよ。
まだ若いのよ。上杉鷹山に立場が似ているわ。上杉はんのちょっと先輩ね。
でも、海音寺潮五郎は「失敗した鷹山」だといってたわ。やる気はあり、かしこかったのだけど、保守派の旧臣の反対にあって、改革はつぶされたの。むずかしいのね。

「百家伝」にはあとはもうおもしろいネタはないみたいだから、これで、おしまいね。


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