虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

討賊始末(3)

2007-07-10 | 歴史
碑文
「烈婦、すでに家を出て、山陰より東上する。近江、美濃を過ぎ、伊勢より紀伊
 を回り,京畿諸国、捜索あますなし。ここにおいて賊また近くにあらざるを測
 り、中山より東下し直ちに南部の恐山を極め、奥羽を探り、関東を探し、北陸
 をへ、東海をめぐり、転じて南海をまわり、かえりて安芸を過ぐ。外にあるこ
 とけだし12年、辛苦つぶさに嘗め、しかるのちに、賊の在る所をけい察するを
 得たり。」

「討賊始末」では、登波が巡り歩いた土地をもっと詳細に書きとどめています。
まず、1年目。川尻(登波の家)--萩--石見--津和野--高津人丸社--浜田--
銀山大森--出雲--松江--大山--鳥取--但馬--丹後--若狭。

2年目。近江--美濃--伊勢--紀伊--高野山--和泉・河内--大和。
3年目。大和--伊賀--近江--大津---京都--丹波--大坂
このあと、何年目かわからなくなるけど、
美濃--木曾--信濃--善光寺--越後--新潟--陸奥--会津--仙台--南部の恐山--
津軽--出羽--岩城--常陸--江戸。
江戸を出て常陸の百姓屋市右衛門という家に泊まった時、ここで病気になり、
100日ほど床に着いていたそうだ。この時、年33歳ということだから、すでに6
年、しかし、まだ旅の半分です。

清河八郎もびっくりの大旅行です。諸国の名所や寺院などはくまなく巡っていま
す。仇討ちの旅でもあるだろうけど、登波の心中には、当時の庶民のかなわぬ夢
であった諸国めぐりも敢行してやろうとの気持ちもあったのではないでしょう
か。そのくらいの幸せは与えてやりたいよなあ、諸君!


さて、登波33歳の時、病にかかり、常陸の筑波郡若柴宿の百姓市右衛門の家で
100日ばかりも世話になります。とても親切にもてなしてくれたそうだよ。

元気になって、また、上総、安房等を回りますが、またここにもどってきて、親
切にしてくれたお礼奉公にということで、1両年、農家仕事の
手伝いなどをして住みこみます。

その後、また江戸--相模--伊豆--遠江--三河--奈良--紀伊の加田--阿波--
土佐--伊予--讃岐などを回りますが、また、この常陸の市右衛門宅に帰ってきま
す。よほど、この家が落ち着きやすかったのでしょうね。
故郷に帰ろうと思ったら、帰ることもできたのに、中国筋には近づいていない。

実は、病気になったとき、もう回復できないだろうと覚悟を決めた時、登波はこ
この主人に仇討ちを追っている身の上を話していたのでした。

この家には、登波より15歳年下の若者、市右衛門の次男がいました。「義気たく
ましく、あっぱれたのもしき男子にて」、名を藤五郎、じゃなくて亀松といいま
す。この若者(18か19歳)、突然、家に滞留しはじめた登波さんを見てドキドキ
し、そして、ぞっこんまいってしまったのかな。いつまでもここにいてよ、と引
き止めたのもこの若者かもしれません。

登波さんの話を聞き、「助太刀する!」と宣言。親は登波さんに同情はすれど、
かわいい息子が素性もわからぬ女性と旅をするのはやはり賛成はできない。しか
し、亀松はたとえ勘当されてもいっしょに行く勢いなので、親は「わかった。た
だし、大願成就したら、一人で帰ってこいよ」と言って許可する。

二人の旅が始まります。たぶん、亀松はうれしかっただろうね。楽しいことも
あっただろうなあ。よかった、よかった、だ。

二人は日光山、中禅寺、善光寺などに参詣、飛騨、加賀、能登、越前を回り、京
都から紀伊へ、そして四国へ。金毘羅さんを参詣したあと、船は安芸の広島へ着
く。その広島で初めて枯木龍之進の噂を聞く。
同郡に吉田という土地があることを登波は思い出し、ふたりは、いよいよ吉田に
足を踏み入れます。



吉田に龍之進の老母が住んでいるということを聞き出し、ふたりは吉田へ。

ふたりはこのように聞いて回ったそうです。
「わたしたち夫婦は関東者ですが、この辺に剣術指南の浪人者、名は忘れてし
まったのですが、その浪人は母親がすんでいるこの土地にも時々やってくるそう
です。そんな浪人をごぞんじないでしょうか」

ふたりは夫婦連れとして行動していたのですね。きっと気持ちもそうだったんだ
ろうね。
ある時、龍之進によく似た男が畑仕事をしているのを発見。登波はこの男にちが
いない、と思い、亀松に言う。
「もし、この男にまちがいなければ、懐剣にて斬りかかります。もし、返り討ち
にあえば、助太刀を願います」
「心得た!」

おそるおそる近づき、
「少々ものをお尋ねしたいのですが」と聞くと、その男、頭の手ぬぐいをぬぎ、
「なんでしょう」。
顔をよく見ると人違い。

「わたしどもは関東者で物詣でこのへんを通りかかったものです。わたしの近所
の者が先年、この辺で剣術指南をしているお方の門人になり、えらくお世話に
なったということで、1度、お礼を言ってきてほしいと頼まれたのです。名前は
覚えてないのですが、そんな御浪人さまをご存知ないでしょうか」

「うーん、そんな人はいるけど、年は40歳くらいだがなあ」

「わたしたちがお会いしたい方は50歳くらいと聞いています。わたしどもは無学
でよくわかりませんが、噂では、学問は達者なようですが、師匠取りをして達者
なものには見えないようなのですが(ちょっと、意味がわからない)」

「おお、それならば、龍之進のことではないか?」

「いえ、名前は聞いていないのですが」(と、わざと言う)

「おふたりは龍之進のお仲間か?」

「いえいえ、わたしどもは龍之進というお方がどんな人かぞんじませぬ。わたし
どもは、関東辺の小百姓でございます」

「この辺は**村にて龍之進も仲間です。あなたがたお百姓は、この辺に宿ること
はできませんよ(**とは被差別村の蔑称なので全集本では伏字)。ここから、2
里下ったところに、龍之進の母と兄が住んでいます。その辺で聞いてもらったら
詳しくわかるでしょう」

「わたしどもは伝言をたのまれただけのこと。しいてお会いするまでもありませ
ん。もし、お会いなされましたら、わたしたちのこともお伝えください」
と、ふたりはそこをそそくさと立ち去る。

ふたりが立ち去ったあと、この男、いぶかしそうにふたりを見て、
「龍之進が殺した男に娘がいたそうだ。もしや、それではないか・・・」という
独り言をつぶやくのが聞こえたそうだ。

「これにて、年来石見の浪人とのみ思いいたる枯木龍之進、実は、安芸御領の**
なる事は初めて知れり」(「討賊始末」)
                             


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