虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

正月の社説

2009-01-01 | 新聞・テレビから
いちいち引用するのもめんどうなので、荒っぽく要約する。

「何という年明けだろう」で書き始め、アメリカ発の経済危機を解説する。
「人々を豊かにするはずの自由な市場が、ときにひどい災禍をもたらす」(まるで、この危機は天災であるかのようだ)。
「資本主義が本来もっているそうした不安定性が、(途中、略)グローバル化した世界を瞬く間に巻き込んだ」。

日本に話をうつし、アメリカ流の経済政策をまねた「小泉構造改革の結果、古い日本型の経済社会の構造がそれなりに効率化され、戦後最長の好景気と史上最高水準の企業収益が実現した」と、この間の政府や企業の政策をなお認め、「だが、同時に現れたのは思いもしなかった現実だ」。

その現実とは、貧富の格差、ワーキングプアの増大、富めるものは富み、庶民の生活の困窮が続く、という現実。「思いもしなかった」とはよくぞ、言ったりだ。数年前から、労働者や心ある人は指摘し続けていたではないか。

昨年だったか、朝日は、21の提言という大々的な提言を出した。地球貢献国家をめざす、という内容だったが、そこには、たったの1行も労働者の生活については書かれなかった。朝日人の視点、提言には労働者の視点は一つもなかったのだ。

いや、今でも、ない。朝日はこう書く。

「こうした現実はしっかりと直視しなければならない。楽観は禁物である。しかし、いたずらに悲観論に陥ることも未来を見る目を曇らせる」「たじろぐ必要はない」と語る。
おっ、なんでだ?
その答えはこうだ。わが国は、かつて2度も大きな危機があった。その危機を克服できたのだから、今度も大丈夫だ、という。その2度の危機とは、明治維新と敗戦。まさに無責任の最たる言葉ではなかろうか(それをいってはおしまいよ)。

結論はこうだ。この危機を乗り越えるためには、たくましい政治(政府の力)が必要。「国民が望んでいるのは、小手先の景気対策を超えた大胆なビジョンと、それを実行する政治の力だ」

だから、今度の選挙には厳しい選択が必要。「有権者の視線はかつてなく厳しいはずだ」が結びだ。

ちなみに、この社説の見出しは、「人間主役に大きな絵を」だが、文中にこの見出しにあたる言葉はどこにもない。どうせだれも読まないのだろうと思ってこんな題をつけたのかもしれないが、実に寒い。

この社説は、朝日の主筆船橋洋一が書いたのかもしれない。年末に船橋は新聞紙面で、「世界経済危機と公の再建」という文を書いていた。

「公の再建は、資本主義をよみがえらせる上でも必要である。資本主義の代案は資本主義しかない。市場の欠陥を補うのは、市場に「公正」のルールを課し、国民の働く場を維持し、社会を安定させることである。それにはたくましい「公」が不可欠である」と書いていたからだ。「公」とは、政府のことだろう。

これは朝日の方針なのかもしれない。今日の天声人語氏も「天下分け目の衆院選挙が秋までにやってくる。人物がいないと嘆かず、一票の力で将来をつかもう」などと書いてある。昨年の朝日の正月の社説は「歴史に刻む総選挙の年に」だったんだよ。秋まで待つのですか。

他の社説ものぞいてみた。
毎日は、「日本版 緑のニューディールを」だ。「ここは政府の出番だ。政府資金を環境政策に大胆に投資せよ」という内容。
読売は、「危機に欠かせぬ機動的対応」という題で、政府は率先して内需拡大を図れ。個人金融資産、国民の預貯金を活用せよ」てなことが書いてある。

各紙とも、この世界的経済危機をバネに自民と民主の対決選挙がいつしか自民民主連合の強力政府を求めるような口ぶりだ。各紙とも、労働者の実態ルポは避けている気がする。労働者の問題が大きな社会問題化しないよう、自重しているのか。いや、新聞人は、「国民のことならうちにまかせてください。不満はおさえてみせます」くらいは政治家に話しているのかも。

朝日、読売、毎日とも、社説に労働者の暮らしはおろか、、大企業のえげつない経営ぶりなどはなく、まして、これまでの経済政策担当者の批判もない。追随してきたから今さら批判はできないのだろう。マスコミも政治担当者と同様、首脳陣は退陣し、刷新しなくてはいけないのではないか?

まあ、東京新聞の社説のみは、政府に期待することよりも、政府を監視することの必要を説いていて(労働者の暮らしについても書いてある)、昨年同様、社説の中では良心的だ。以上、報告おわり。なんだか、時間を無駄にしたようでやな感じ。




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