らんかみち

童話から老話まで

萎えそうになる地域おこしの気持ち

2013年03月26日 | 暮らしの落とし穴
 地域おこしに携わる人たちを取り上げたテレビ番組の中には、あらら、うちらと似たようなメンバーだね、と同情したくなるものがある。いや、裏を返せば我々が同情してもらいたくなるってことか。若者が多ければば地域おこしそのものが必要に迫られないだろうから、高齢化した町の現状を何とかしないと、って立ち上がるのは年寄りばかりということになる。昨日もそんな地域おこしの会議だったんだけど、優秀なお役人さんがそつなくまとめたプロジェクトを粛々と実行することになるかも。

 我々の地域おこしスポンサーは行政なので、失敗は許されない。もちろん、企業がスポンサーであったって失敗は許されない。問題になのは、何を持って成功と呼ぶかってことだけど、企業の場合はメディアへのの露出度、つまり企業イメージのアップが一つの目安か? 
 行政から助成金をいただく場合は少し事情が違うらしく、「失敗ではないのか」と指弾を受けない限りは成功と考えて良いのかも知れない。行政組織の内外から問題を指摘する声がゼロだったら大成功?

 3年前に島おこしのプロジェクトに荷担したとき、ぼくは企業を回ってスポンサーになってもらおうと考えた。ところが、企業から資金を頂かなくても行政から助成が頂けるという。そうだったのか!
 仮に資金を頂き過ぎて消化し切れなかったら問題になるので、自分たちの能力と照らし合わせ、控えめな企画を考えるよう諭された。で、ゆる目の企画が通って資金を頂け、失敗でない程度に遂行した。

 あのとき企業を営業して回っていたとして、投資効果のはっきりしない地域おこしなんかのスポンサーになってもらえたかどうか分からない。しかし仮にもらえたなら、自分たちでかき集めた資金だと思って疎かにはできないだろう。
 でも行政から頂いた助成で行政に注文を付けられながらの活動となると、なんかモチベーションが上がらない。実際の地域おこしにつながらなくても行政は怒らないから、打ち合わせた通りに企画をこなしてほしい、という阿吽の呼吸が分かるようになってしまったせいだろうか。

 気持ちがスポイルされてしまったのは、たぶんぼくだけで、他の人は気合いが入っている、ように見える。自分たちの懐には1円たりとも入らないボランティアだけど、持ち出しってこともないので士気は低くない。自分たちの活動がきっと明るい未来につながっている、という希望も捨ててないしね。もういちどみんなの気持ちに賭けてみるか。