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独歩苑(赤平市)で「空知川の岸辺」を思う

2024年05月14日 17時59分00秒 | つれづれ日録
 赤平市茂尻元町北6丁目にある小さな緑地。
 駐車場も無く(車をとめるスペースはあります)、地味な園地ですが、「武蔵野」で知られる明治期の小説家・詩人、国木田独歩が好きな人には、寄らずには済ませられないスポットだといえそうです。
 アートには関係ありませんが。
 
 
 園内にあるのは
「国木田独歩曾遊地」
と刻まれた石碑のみ。

 裏面には、独歩の短篇「空知川の岸辺」の一節が刻まれています。
 行書なので判読にやや迷いますが、次のように記されているようです。

余は今も尚空知川の沿
岸を思ふと、あの冷厳なる
自然が、余を引きつけるや
うに思う何故だらう


昭和三十一年九月廿六日建立

赤平市長 遠藤勝太郎
議長 高江周三
教育長 田中吉人

寄贈者 西出喜一

 
 国木田独歩(1871~1908)は現在の千葉県銚子市生まれ、本名哲夫。
 若いころは文学者、政治家、宗教者のいずれに進むか悩み、日清戦争の従軍記者として名をはせました。
 1895年、佐々城信子と熱烈な恋愛の末に結婚し、開拓生活を夢見て、北海道に土地の下見にやって来ます。その際の体験をもとに後年つづったのが「空知川の岸辺」です。

 当時は砂川(石狩太)までしか鉄道が通じておらず、独歩は歌志内から山を越えて、空知川の近くまで来ます。
 もっとも、実は独歩は川の音は聞いていますが、森がうっそうと茂っていたため、川の姿は見ていません。

 独歩はすぐに東京に引き返しますが、信子は失踪し、結婚生活は破綻します。
 この顚末をモデルに有島武郎が書いた長編小説が、彼の代表作にして、日本近代文学を代表する長編でもある「或る女」です。

 その後独歩は、「武蔵野」「忘れ得ぬ人々」「牛肉と馬鈴薯」などを書き、明治期を代表する小説家となります。また雑誌編集者としても活躍します。

 自然主義文学の先駆者としてようやく評価が高まりつつあったころ、肺結核で歿しました。
 36歳でした。
 




 「空知川の岸辺」では独歩が音だけ聞いて目では見ていないことになっている空知川ですが、この独歩苑からは木々を通して、その悠々たる流れを望むことができました。


過去の関連記事へのリンク
国木田独歩「欺かざるの記」を読んだ (2010)



・JR根室線「茂尻駅」、都市間高速バス「高速ふらの号」の「茂尻」停留所から、いずれも約1.2キロ、徒歩17分

・中央バス「歌志内線」(砂川中央病院―上砂川役場―歌志内市街―宮下町)、「滝芦線」で「歌志内入口」から、約140メートル、徒歩2分


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