(承前)
木島誠悟さんは釧路出身の絵本作家です。
今年2~3月、釧路芸術館で絵本原画などの個展が開かれ、なかなか見応えがありました。
釧路の街角にあるこの大きな絵は、木島さんの手になるものです。
ただ、このあたりは百貨店の廃墟が残っていて、釧路の斜陽を象徴するような街区で、なかなかつらいものがあります。夜は飲み屋さんが固まっているので人出がありますが、昼はほとんど誰も歩いていませんでした。
水産に続き炭鉱、製紙工業…。釧路を支えてきた産業が撤退し、人口も帯広に抜かれました。
しかし、この絵には、たいていのことではくじけない釧路っ子の心意気が感じられます。
近くの栄町平和公園。
戦災のモニュメントも、野外彫刻のひとつと見て良いでしょうか。
北海道デジタル彫刻美術館には、矢萩博教「平和の祈り」とあります。
釧路市立博物館の配布している「街歩き ART MAP」には「平和のモニュメント」と書かれています。
その説明として
<釧路市が平成7年、戦後50年と「核兵器廃絶平和都市宣言」10周年を記念して「栄町公園」の名称を「栄町平和公園」に変更しました。毎年8月15日には、モニュメントが奏でる鐘の音にあわせ、永遠の平和を誓い合う式典を開催しています。>
と記されています。
この方は彫刻家ではなく、市民団体が一般からデザインを募集して制作したようです。
なお、同公園には
米坂ヒデノリ「少女の頭像」 釧路の野外彫刻(25)
もあることは、2011年に書きました。
さらに、子どもたちが遊んでいる彫刻をてっぺんに載せた噴水もあるそうですが、この日は、シートで覆われていて見ることができませんでした。
早くも冬支度でしょうか。
1975年、釧路市の公園に、はじめて設置された噴水だそうです。
市のサイトには、次のようにありました。
□総務省のサイト https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/memorialsite/hokkaido_kushiro_city001/index.html
木島誠悟さんは釧路出身の絵本作家です。
今年2~3月、釧路芸術館で絵本原画などの個展が開かれ、なかなか見応えがありました。
釧路の街角にあるこの大きな絵は、木島さんの手になるものです。
ただ、このあたりは百貨店の廃墟が残っていて、釧路の斜陽を象徴するような街区で、なかなかつらいものがあります。夜は飲み屋さんが固まっているので人出がありますが、昼はほとんど誰も歩いていませんでした。
水産に続き炭鉱、製紙工業…。釧路を支えてきた産業が撤退し、人口も帯広に抜かれました。
しかし、この絵には、たいていのことではくじけない釧路っ子の心意気が感じられます。
近くの栄町平和公園。
戦災のモニュメントも、野外彫刻のひとつと見て良いでしょうか。
北海道デジタル彫刻美術館には、矢萩博教「平和の祈り」とあります。
釧路市立博物館の配布している「街歩き ART MAP」には「平和のモニュメント」と書かれています。
その説明として
<釧路市が平成7年、戦後50年と「核兵器廃絶平和都市宣言」10周年を記念して「栄町公園」の名称を「栄町平和公園」に変更しました。毎年8月15日には、モニュメントが奏でる鐘の音にあわせ、永遠の平和を誓い合う式典を開催しています。>
と記されています。
この方は彫刻家ではなく、市民団体が一般からデザインを募集して制作したようです。
なお、同公園には
米坂ヒデノリ「少女の頭像」 釧路の野外彫刻(25)
もあることは、2011年に書きました。
さらに、子どもたちが遊んでいる彫刻をてっぺんに載せた噴水もあるそうですが、この日は、シートで覆われていて見ることができませんでした。
早くも冬支度でしょうか。
1975年、釧路市の公園に、はじめて設置された噴水だそうです。
市のサイトには、次のようにありました。
釧路市は終戦の年である昭和20年に米艦載機による激しい空襲に見舞われました。栄町平和公園は、昭和22年に戦災復興土地区画整理事業により市街地中心部に公園用地が確保され、昭和24年に開設されました。 昭和47年、現在の沈床公園として再整備を行ったことに合わせて、昭和48年に市民会議、商工会議所等が中心となって噴水設置運動が展開され、昭和50年に市内の公園として初めての噴水が設置されました。都心部にはまとまった緑が少ないため、当公園の噴水や樹々の緑は貴重な憩いの空間です。
□総務省のサイト https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/memorialsite/hokkaido_kushiro_city001/index.html
(この項続く)