観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

奴雁、雁奴、銭奴

2006年06月23日 | 日記
昨日、ニュースステーションを見ていたら、日本銀行福井総裁の話題の中で奴雁という言葉が出てきた。
Web検索をすると日本銀行のホームページ1998年4月12日「総裁、新副総裁、新審議委員記者会見要旨(4月1日) 」の篠塚委員の話の中に
”これは福沢諭吉の論集の中に、――これは前川さんが引用している部分であるが――「群れなす雁、野にありて、餌を啄ばむ時、そのうちに必ず一羽は首を上げて四方の様子を窺い、不意の難に番をするものあり。これを奴雁と言う」。つまり誰かが襲ってくるかもしれない。それで必死になって一羽だけは首を長くして、寒い中で見張りをしている雁がいるんだということなのである。そのことを引用して、前川さんは日本銀行の100年史で書いていらっしゃるのであるが、「刊行に当ってその『奴雁100年』というようなタイトルにしたい」とおっしゃったところの中でこれを引用して、「結局寒い夜に首を上げて仲間を守る、奴雁にも似た日本銀行100年の歴史を支えたのは、黙々として尽くされた職員の努力であり、本館の石の一つ一つに100年の風雪と、これに耐えた人々の愛惜が焼き付いているように私には思われます」というこの短いご挨拶があったのである。”
という話が載っていた。
それにしても奴雁とは聞き慣れない言葉なのでさらに検索を続けると
”「雁に四徳あり」ともいわれる。寒いとき南、暑いとき北に移るのは「信」である。飛ぶのに序があり、前に鳴き後に和するのは「礼」である。偶を失って再配しないのは「節」である。夜宿るとき一羽を見張りに立て、昼は蘆を含んでいぐるみを避けるのは「智」である(『本草綱目』巻47)。見張りを立てるというのは観察が鋭い。見張り役を古人は「雁奴」と呼んでいる。”
雁や鶴は、こうした行動をよくとるが、私は、奴雁あるいは、雁奴という言葉を鳥関係の書物等では見たことがないが、上記Web記事でおおよそ理解できた。「雁奴」のほうが正しく、「奴雁」は、造語名人の福沢諭吉が造語したのかも知れない。

日本銀行トップの福井総裁は、高い位置から見渡して、日本経済を守るどころか、その立場を利用して金儲けをしている。
福井総裁も前川総裁の話を当然知っているだろうが、福井総裁は「雁奴」でなく「銭奴」と呼べばよいのだろうか。

写真は、ナベヅル(鍋鶴)
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