観・環・感

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チェルノブイリの現状

2012年05月06日 | 日記
昨日の勉強会でメンバーで日本ペンクラブ環境委員のS氏からチェルノブイリの現状を学んだ。
彼は4月16日に徳島市を出発、4月23日に帰って来るまで、持参のガイガーカウンターで各地の放射性物質を測定していた。
測定した場所の写真とその場所におけるガイガーカウンターの計測値を撮した写真とともに話してくれたので、実に説得力があり、
放射能を恐怖を実感した。S氏は作家の浅田次郎氏を団長とする日本ペンクラブの訪問団の一員として参加していたのだ。
(訪問団の中に私たち世代でのヒーローで、ペンクラブの環境委員会の委員長をしている中村敦夫氏と、もう一人別の勉強会の
メンバーのM氏も参加していた。近々、彼からもその時の話を聞かせてもらえる席があるので、どのように話してくれるか楽しみに
している。)
訪問団の一行は、まずウクライナの首都キエフでお役所的な公式見解を聞いた後、原子力発電所爆発事故の現場から約100キロ
以内の各地を赴き、現地の生の状況を詳しく視察している。民間レベルとか自治体レベルではどこへ行っても歓迎され、非常に
フランクに話してくれたようだ。彼らの対応が大変友好的な訳は、どうも日本がチェルノブイリの原発事故に際して様々な寄付・貢献
をしていることにあるようだ。
彼が訪問したときには30km立ち入り禁止区域の中でも事故の処理に当たっている作業員以外にもかなり多数の人がまだ暮らして
いたようだ。お年寄りが多いが、身に起こった病変を嘆きながらも故郷での暮らしを選んだようだ。
チェルノブイリ原子力発電所から約70km離れたナロジチ市における青少年1800人のうち、1300人が現在何らかの治療を
しており、残りの500人の中にも完全な健常者は一人もいないという事実にも驚いた。
また、キエフ市の病院では鉛で覆われている病室でも測定している。入室した中の1人のジャーナリストは患者にも測定器を向けたが、
その数値は驚愕するものだった。なんと患者の放射性物質による病変部位に対し、5日間隔離状態の中で放射線治療を行っているのだ。
話の中でも特に驚いたのが、立ち入り禁止区域以外の遠く離れた場所でも放射性物質の数値が高い場所はスポット的に偏在しており、
そこでは今でも放射能の後遺症が出ている人が続出していることだ。放射能物質に被爆した子どもの子どもにまで病気に罹っているのだ。
放射性物質の被爆には外部被曝と内部被曝がある。いずれにしても被爆した結果、その子孫にまで影響が出ているのだ。
外部被曝より深刻なのが内部被曝だ。放射性物質に汚染された動物や植物を食べて被爆するのだ。内部被曝の恐いのは、放射能物質との
距離が0であることだ。口に入れる物の中では野生動物の他にキノコ、イチゴ類、ハチミツなど特に危ないものがあるらしい。
訪問団は、事故を起こした原子力発電所から30km以内の政府による訪問団の仮設宿泊所にも宿泊していた。そういう事情もあり、
そこでの食事は実に貧しいもので、メインの1品を除くと毎日、毎回同じものだった。(遠く離れた場所から運んだ保存食品を使用する
ため新鮮な食材はなく、キュウリのピクルスがあるだけだった。)写真を見ながら説明を聞くと実に説得力がある。
ウクライナのチェルノブイリ原発4号機爆発事故は、1986年4月26日に発生し放射性物質が欧州などに広く飛散した。当時のソビエト
連邦政府は、放射性物質を原子炉建屋内部に抑えこむ石棺を設置している。しかし老朽化したので、事故が発生してから26年後の今年の
4月26日、ウクライナ政府がフランスの原子力関連企業と連携して、原子炉建屋全体を覆う新たな巨大石棺の起工式を実施している。
(約9億4千万ユーロ(約1千億円)の建設費のほとんどが欧米諸国の援助でまかなわれるらしい。2015年の完成を目指している。
この石棺工事は建屋が老朽化する度、永久に実施していく必要がある。)
また、ウクライナ政府は周辺の一部地域の永久閉鎖も決めたので、今後、現場には行くことは困難になるかも知れない。貴重な話を聞けた。
さら、ソビエト連邦時代の名残だろうか、治療に当たっている医者の給料は非常に安く、袖の下が常識になっているらしいという興味深い話
まで聞くことができた。