Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

快速川崎行きでDepokへ

2015年09月21日 19時14分16秒 | インドネシア
昨日の続きになりますが、昼飯も食わずにBalai Yasa Manggaraiで元南武線の205系の撮影に夢中になり、12両に組成されたナハH44+H35の回送列車に乗せていただけることになったのですが、時刻は午後3時近くになり、さすがにお腹の中に何か入れないとということで、Manggarai駅構内のセブンイレブンでパンを2個ほど購入し、言われた仮設ホーム?の7番線でパンを頬張って待っていると、行先表示が「快速川崎」のままの列車がゆっくりと入線してきました。

写真に駅構内の配線図も入れていますが、赤線が当該列車の走行部分で、上がBogor方面、下がKota方面となります。


現在では、このような回送列車や試運転の列車に乗車することは通常禁止されており、7~8年前ぐらいから乗務員室への立ち入りも禁止されていましたが、以前は乗客の降りたいところで、チップを運転士に渡せば自由に降りることもできましたし、手を振ると列車が止まってくれて乗せてもらえるというようなこともありましたので、このような現在の厳しい規律の中で回送列車に乗車でき、それも私の元地元を走る南武線だけに感無量でした。

それはともかく話しを進めたいと思いますが、列車が停止する否や乗務員室から乗り込み、5分ほど停止したのち、列車はゆっくりと発車し、ダブルスリップのポイントからBogor線の本線へと入って行きました。先行列車は10分前ぐらいにManggarai駅を出発していますので、列車はおおよそ70km/hで快調に進み、各駅通過手前でタイフォンを鳴らしながら通過していきますが、駅のホームで待っている乗客は特に通過するこの列車には当然目もくれませんでした。

既に205系がジャカルタに投入されてから約2年近くになりますので、運転士はかなり手慣れた手つきでマスコンとブレーキハンドルを扱っていました。


Manggarai駅を出発して、約10分ほどでPasar Mainggu駅を通過しましたが、この駅は2面4線の待避可能な配線となっており、以前であればEkonomi列車が待避し、急行列車が通過していくということはよくありましたが、現在では急行列車も廃止されてしまい、待避の役目や折り返し列車もありませんので、待避線はまったく使われていません。


Pasar Minggu駅を過ぎると沿線の緑が濃くなり、学園地区のUniv. Pancasila、Univ. Indonesiaと進みますが、このあたりから先行列車との間が詰まり、信号機は注意と停止が続きます。また、下の写真はUniv. Pancasila~Univ. Indonesia間で見通しの良い直線区間となっており、下り線にはオランダ統治時代の架線柱も残っていることから、私もこの場所でよく撮影しております。


Univ. Indonesia駅手前の信号機で1分程停止したのち、ゆっくりとUniv. Indonesia駅を通過しましたが、この駅のBogor寄りにはダブルクロスのポイントがあります。日本であればこのポイントが無意味に感じますが、Bogor線においては車両故障や架線切断などが頻発しており、このポイントと一方の線路のみを使って両方向の列車を運行することもたびたびあります。


Univ. Indonesia駅を過ぎたあたりから横浜線が相模原台地を登るように勾配が少しずつきつくなっていきますが、205系であればそのような勾配は大したものではなく、ましてや8M4Tのこの列車は簡単なようです。
また、対向列車はこのBogor線においては、東急8500系をはじめメトロ05系、6000系やJR205系などと擦れ違い、最も多種な形式を見ることのできる面白い路線かもしれません。


列車はDepok Baru駅の手前で一旦停止したのち、ゆっくりとDepok Baru駅を通過しました。
この駅の配線は日本の幹線で見られるような構造になっており、中線が設置されていますが、中線は現在では使用されることは頻繁にないものの、時々、回送列車などに使用されることがあるようです。
また、このDepok Baru駅は隣駅のDepok駅と対比されることがあり、Depok市の中心商業地のあるほうがDepok Baru駅で、急行列車が走っていた頃はこちらのDepok Baru駅に停車する列車が多くありましたが、Depok駅にはほとんど停車していなかったと記憶しております。
この他、現地の方々や鉄道職員はDepok駅をDepok Lama駅と呼ぶことが多く、混同することを避けています。
(baru=新しい、lama=古いという意味で、同じマレー系のタガログ語(フィリピン語)ではbaru=bago、lama=lumaと似ており、タガログ語とインドネシア語にはかなり多くの同じ単語や近い単語がありますので、私としては助かっています)


Depok Baru駅の次はDepok駅(Depok Lama駅)で、私の降りる駅ですが、列車はこのままDepok車庫へと向かいますので、私もこのまま乗車し、Depok車庫へ連れて行ってもらい、そこで再び元南武線の車両を中心に撮影させていただきたいと企んでいたのですが、この乗務員2人に聞いてみると、それだけはできませんとのことで、やむを得ずDepok駅で降りることになりました。


ということで、束の間の約30分の乗車でしたが、私にとっては先程も述べましたように元地元を走る南武線の205系に添乗させてもらえるとは夢にも思ってもいませんでしたし、Balai Yasa Manggaraiで撮影できたこともミラクルかもしれませんが、やはりある程度の現地の方々とのコミュニケーション能力や交渉能力があり、現地の方々の性格や考え方がわかっていれば、海外での撮り鉄、乗り鉄も楽しめるものとあらためて認識した思いです。





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
元南武線の現況 (野津田車庫)
2015-09-23 23:44:54
こんばんは、インドネシア遠征お疲れ様でした。

南武線が現地入りした際は無難に6+4の10両に組み替えてKCJカラーに改められるものと思っていましたが、まさかの12両編成化に加えて南武線色の帯色を維持しての営業運転開始と、まさかの事態が立て続けに起こり驚くと共に南武線ユーザーとしては感動を覚えています。先ずは一編成でも多くの編成が長く活躍出来るようにして貰いたいものですね。

一方で東急車・営団地下鉄車に終焉が迫ってきましたが、果たして現在の日本車天国が何時まで続くやら、物凄く心配なところです。
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元南武線の現況 (井上)
2015-09-25 00:58:06
野津田車庫様、ご無沙汰しております。

インドネシアの高速鉄道計画でも見られるように、この国の計画には全く一貫性がありませんので、寝耳に水のように突然と計画が変更されるようですが、元南武線を使用して12両で運転することは現時点で得策かと考えますと、個人的にはそうではないと思っております。
元南武線の車両を使っても結果的に10編成のみであり、10両編成として組成しても12編成と2編成分しか変わりません。
また、Bogor線系統(Bogor線・中央線及びBogor線・環状線)に8両編成で運用されている約20運用をBogor線・中央線とBogor線・環状線に完全に分離し、そうちの6運用を元南武線の車両を10両編成に組成して、Bogor線・中央線に充当し、Bogor線・中央線運用の完全10両化を実施するほうが賢明なのではないかと思っています。

この他、この15年の間に日本から大量の中古車両が導入されていますが、一昨日、Juandaで発生した事故や以前も運転士の居眠りにより痛ましい事故が発生しており、過密な輸送体系の中で安全対策については抜本的な策が実施されておりませんので、いい加減に安全対策を重視することに舵をきることが大切なのではないかと思いますが、乗客を安全に運ぶという精神があるのかと問いかけたくなるこの頃です。
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