ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

父の声が聴こえた様な。

2021-11-05 07:02:51 | 日記
お墓参りへ行って来ました。
父が植えてくれた柿が今年は大豊作。
桃の様な柿の実が沢山とれました。
姿かたちのいい物を、まずは父の墓前に供えたかったのですが、夏以来の体調不良が続いています。
お盆にも、お彼岸にも墓参が叶わず、長女の代参で済ませていました。
柿を供えるための墓参も中々出来ずにいましたが、今日は意を決して出かけました。
バスとタクシーを利用しましたが、やっぱり疲れました。
連れ合いは、バスの利用ではなく自宅から墓地までタクシーを使え、と言いますが、バス等の乗り物への乗車に不安があるわけではありません。
墓所の在るお寺さんまでのアクセスがいかようであっても、問題は墓地内の独り歩きです。
高台に在る墓地まではお寺さんの入口から階段や坂を登らなければならないのです。
墓所近くで倒れでもしたらどうしようもありません。
そんな不安が墓参を躊躇っていた理由です。
でも、無事行って来ることが出きて嬉しい限りです。
お花を供えるためには水も用意しなければいけませんから、そうなると階段を水の入った手桶を持って上らなければなりません。
今の私の体力ではムリが生じます。
というわけで、柿だけを供えて合掌してきました。
「よく来てくれたけど、ムリするな!」
と、父の声が聴こえたような。
疲れましたが、気持ちが安らいで帰宅できました。

   『石仏』・・・・・晩秋

   うしろで
   優雅な、低い話し声がする。
   ふりかえると
   人はいなくて
   温顔の石仏が三体
   ふっと
   口をつぐんでしまわれた。
   秋が余りに静かなので
   石仏であることを
   お忘れになって
   お話などなさったらしい
   其処だけ不思議なほど明るく
   枯草が、こまかく揺れている。


私の好きな詩人、吉野 弘の『石仏』です。
このブログにも何度かアップしています。
今日も、静かな秋の日差しが降り注いでいた墓所でした。
お寺さんの本堂近くには、石仏が何体かいらっしゃいますが、父の墓所近くには石仏などありません。
でも、墓参を済ませ暖かく安らいだ気持ちに包まれますと、この詩の中の『石仏』さまの声が聴こえるような気がするのです。
そして、
〈其処だけ不思議なほど明るく〉
という世界が確かに広がっている様な・・・・・・
                〈ゴマメのばーば〉
コメント
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