ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

謹んで合掌させて頂きます。

2021-11-13 06:54:13 | 日記
瀬戸内寂聴さんが亡くなられました。
『寂にして梵音を聴く』が、「寂聴」という法名の由来とか。
東日本大震災の際、腰の痛む病で入院加療中だった寂聴さんが、震災のニュースを聞き、慰問のために被災地を訪ねて下さった姿が忘れられません。
愛する者たちを奪い去れてしまった罹災者の方々が、涙ながらに寂聴さんの慰めの言葉を聞いていらっしゃったことをはっきり覚えております。
ありがとうございました。
謹んで合掌させて頂きたいと存じます。

寂聴さんを偲んで、2015年6月20日に当ブログへアップした記事を再掲致します。

  『いい戦争なんて絶対にありません』
                        2015.6.20. 記
『戦争に、いい戦争なんて絶対にありません。
戦争とは人殺しです。
殺さなければ殺されます。』

市民団体、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」主催による集会で、93歳になられた瀬戸内寂聴さんが、そう訴えました。

『今の日本の状態は、私が生きてきた昭和16、17年ごろの雰囲気がある。
表向きは平和なようだが、すぐ後ろの方に軍隊の靴の音が、ぞくぞくと聞こえている。
最後の力を出して戦争に反対する行動を起こしたい』

と、報道陣の取材に語ったとのこと。

車椅子で集会に駆けつけた寂聴さんの姿を目にしましたら(映像ですが)、背中を“ポン”と、叩かれたような気がしました。
幼い頃、戦争のもつ悲惨さ、人間の尊厳すら奪われた「あの戦争の時期」を経験した者の一人として、今、出来ることをしなければならないと、痛感したのです。
“もう、歳だから”
というところへ、逃げ込んでしまってはいけないと。

東日本大震災の際、3月11日の地震発生日まで、腰の痛む病で入院加療中だった寂聴さんが、震災のニュースを聞き、
“こうしては居られない”
と立ち上がり、慰問のために被災地を訪ねて下さったのです。
その時の模様は、『NHKBSプレミアム』でも放映されました。
寂聴さんの説法は、心の ひだに沁み込み、悲しみに寄り添うものでした。
ユーモアに味つけられた『ことば』の巧みさは、寂聴さんの生き方に根付いた強力な説得力を持っていたのです。

【定命】【和顔施】【無常】【代受苦】などについての解りやすい説法は、キリスト教徒である私にも、とても良く受け入れることができましたし、“さすがだなあ”と、感服もしたことを覚えています。

肉親を津波で失い、
「あの時、私がもっとしっかり手をつないでいたら、子どもが波にのみ込まれないで済んだかも」
と自分を責め続けている方に対して、
《それは、その方の【定命】よ、仏さまから頂いてきた定まった いのち なの》
と諭されました。
そして、
《亡くなった方はあなたの代わりに死を受けてくれたのだから、あなたがしっかり生き続ける事が、亡くなった方の願い》
とも。
希望・再生への祈りを届けて下さった寂聴節、寂聴説法はすばらしかったのです。
ありがたいことでした。

『戦争に、いい戦争なんて絶対にありません。
戦争とは人殺しです。
殺さなければ殺されます』

この言葉を、今、しっかり受け止めたいと思います。

私は、寂聴さんに、また「勇気」と「やる気」を頂きました。
合掌。
        〈ゴマメのばーば〉
コメント
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