ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

《言ってるうちに日が暮れて》

2021-11-19 07:00:13 | 日記
「出不精」と「億劫」
まさに、私が今陥っている症状です。
「コロナ自粛」にかかる後遺症かも。
全国的に新規感染者は減少していますし、私の住んでいる福島県は連続8日間、新規感染者ゼロとなっています。
不要不急でなくとも、感染予防の対策を講じてさえいれば、街へ出て行って買い物をしたり飲食をしたりしてもOKの筈。
ところが、「自粛」が「萎縮」になって定着してしまったらしいのです。
繁華街などへ出かけて行っての買い物や外食がしたく無いわけではないのですが、一歩踏み出すのが億劫になってしまっているのです。
もちろん、交通機関を利用しての「旅」へも。

散歩は続けていますが、こちらは〈田んぼの在る散歩道〉コースですから、めったに他の人には出会いません。
こうした状況は連れ合いも同じようで、どうしても行かなければならない所用を除いての外出は気が向かない様です。
高齢者にとって、こうした状況下に自身を置くことは、老化と言うより退化現象を引き起こしますから要注意モノです。
「いい天気ね、どこかへ出かけてみる?」
「うん そうだな」
との会話にはなっても、そこからハナシが具体的に進むわけではなく、たち切れに陥ります。
ただ、以前訪れた懐かしい場所の名前などを上げて、せいぜい思い出話をする程度。

この場所、今住んで暮らしている「ここ」。
心身の在りどころ、としての「ここ」
でも、「ここ」を見つめ直すにしても、「どこか」へ出かけて見るのは大切なことだとは思うのですが・・・

谷川俊太郎さんの、『ここ』という詩です。

    『ここ』
              谷川俊太郎
    どっかに行こうと私が言う
    どこ行こうかとあなたが言う
    ここもいいなと私が言う
    ここでもいいねとあなたが言う
    言ってるうちに日が暮れて
    ここがどこかになっていく

コメント
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