ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

《あいている穴》から、

2021-11-28 06:41:37 | 日記
歳を重ねますと、個人差はありますが、昨日出来たことが今日は出来なかったり、物忘れや、うっかり失敗、と言うことが増えて来ることは確かです。
そして、そんな自分に、ふがいなさを覚えることも、しばしばです。
最近は、そうした失敗に居直ったりしている自分に気がついて、恥ずかしくなったりもしています。

私と同じ歳の連れ合いも、私同様、「うっかり」による失敗が増えている昨今です。
「今晩、6時から会議があるから、夕飯は帰ってからにする。」
と、昨日言っていましたので、それなりの対応を私もしていたのですが、午後3時半を回ったあたりで、
「大変だ、会議は16時からだった」
と、大慌てでタクシーを呼んで出かけて行きました。
「会議の資料、忘れないようにね」
との私の呼びかけも、聞こえたものかどうか、返事もせずにタクシーに行き先を告げて出て行きました。
「16時」を午後の6時と思い込むことなどは、ありがちな事ではありますが、困ったことです。
他人様に迷惑をかけることにもなりますし、新幹線の乗車時刻でしたら、これまた大変。

《齢が重なり、病にむしばまれることで「ふがいなさ」を増す自分自身。
 それだからこそ見えてくる世界がある・・・・・・》
(‶ふがいない自分‶と生きる 渡辺和子 NHK「こころの時代」 金の星社刊 より)

と、渡辺和子シスターは語られました。
《そこに穴があいているがゆえに、見えることがあるのです。》とも。

青空も広がりはしましたが、寒い一日でした。
西の山並み辺りに雲が重なっていて、時折、小雨を降らします。
初冬らしい風情です。
すっかり葉を落とした生け垣のドウダンツツジは、繊細な小枝の先々に小さなふっくらとした紅色の蕾を数えきれないほどに付けています。
新しい世代が春を待っているのでしょう。
でも、まだ「春よ来い」の声は聞こえません。

《あいている穴》から、何が見えるのか、老いへのグチなどにならずに、見えて来るものを探ってみなければならない私たちなのでしょう。
連れ合いは、
「夕食は、弁当を買って来る」
と言っていましたので夕食の準備はしませんが、温かい何かは拵えて置こうかと。
           〈ゴマメのばーば〉
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