日曜日でしたので、先週に倣って一人での家庭礼拝をいたしました。
教会暦で言いますと、今日からアドヴェント(待降節)に入ります。
主の降誕を待ち望むアドヴェントに入るための心の準備として、牧師は「牧師説教要旨」で、次の聖書のみ言葉を挙げて下さっていました。
『慰めよ、わたしの民を慰めよと
あなたたちの神は言われる。
エルサレムの心に語りかけ
彼女に呼びかけよ
苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを
主の御手から受けた、と。』
(旧約聖書 イザヤ書40章1~2節 新共同訳)
そして、このみ言葉を、
《神さまの救いの壮大な交響曲の序曲の音色として聴いてみませんか》
と。
イザヤ書40章は、次のみ言葉で締めくくられています。
『あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく
その英知は究めがたい。
疲れた者に力を与え
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。』
(イザヤ書40章28~31節)
と。
聖書は、「バビロン捕囚」という苦難に対しての救いの始りを伝えていますが、私は、現在の私自身に向けられた言葉だと受け取らせて頂きました。
暫くぶりで、ひ孫のUちゃんと、Tちゃんがパパと一緒にやって来ました。
Uちゃんは大分上手に自転車を乗りこなせるようになっていましたし、Tちゃんも、会話の語彙が多くなっていました。
幼い者たちの声を聞き、傍にいることを覚えられるのは、限りない幸せ感を与えてくれるものです。
眼科にも、歯医者さんへも行かなければならい状態ですが、まずは、今年もアドヴェントを迎え、クリスマスを臨む日々を与えられた事を感謝することが出来た今日の日でした。
〈ゴマメのばーば〉
教会暦で言いますと、今日からアドヴェント(待降節)に入ります。
主の降誕を待ち望むアドヴェントに入るための心の準備として、牧師は「牧師説教要旨」で、次の聖書のみ言葉を挙げて下さっていました。
『慰めよ、わたしの民を慰めよと
あなたたちの神は言われる。
エルサレムの心に語りかけ
彼女に呼びかけよ
苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを
主の御手から受けた、と。』
(旧約聖書 イザヤ書40章1~2節 新共同訳)
そして、このみ言葉を、
《神さまの救いの壮大な交響曲の序曲の音色として聴いてみませんか》
と。
イザヤ書40章は、次のみ言葉で締めくくられています。
『あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく
その英知は究めがたい。
疲れた者に力を与え
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。』
(イザヤ書40章28~31節)
と。
聖書は、「バビロン捕囚」という苦難に対しての救いの始りを伝えていますが、私は、現在の私自身に向けられた言葉だと受け取らせて頂きました。
暫くぶりで、ひ孫のUちゃんと、Tちゃんがパパと一緒にやって来ました。
Uちゃんは大分上手に自転車を乗りこなせるようになっていましたし、Tちゃんも、会話の語彙が多くなっていました。
幼い者たちの声を聞き、傍にいることを覚えられるのは、限りない幸せ感を与えてくれるものです。
眼科にも、歯医者さんへも行かなければならい状態ですが、まずは、今年もアドヴェントを迎え、クリスマスを臨む日々を与えられた事を感謝することが出来た今日の日でした。
〈ゴマメのばーば〉
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