今日も、秋晴れのいい一日でした。
でも、残念だったことも。
私は、若い頃からキリスト教会へ通っています。
肺腺ガンやら何やら持病を持っている私は、〈コロナ〉が始まって以来、教会での礼拝は欠席し、牧師先生から送られてくる週報にあわせて自宅での礼拝をさせていただいております。
教会では、感染対策をしっかり保った礼拝が行われていますが、交通機関での移動、その他を考慮し、しばらく休ませて頂いていました。
ワクチンは6月に接種済み。
新規感染者も少なくなりました。
万全とは言えませんが、体調も、徐々に良くなって来ましたので、1年8か月ぶりでの礼拝に出席するつもりで、心身の準備をしておりました。
「さあ、明日の礼拝に行くぞ」
と、準備していたにもかかわらず、当日(本日)になって、体調、その他の要因もあって欠席せざるを得なくなってしまったのです。
ザンネンと言うか、身体の力が抜けてしまいそうな気分になってしまいました。
でも、今日のこの天気です。
空や、狭い庭を眺めながら、暖かく穏やかな立冬の日を味わっていました。
牧師先生から毎週送られて来ます「牧師説教要旨」に、星野富弘さんの詩が紹介されていました。
これから私の歩いて行く道には、
どんな峠があるだろう。
泣きながら登らなければならない
坂道もあるかもしれない。
しかしその先にも、あの日時計のある
明るい峠があることを、
忘れないでいようと思う。
そしてそこからは、
今まで歩いてきた道も、
これから歩いて行こうとする道も
見渡すことができるだろう。
(星野富弘詩画集『いのちより大切なもの』より)
私の好きな散歩道は、「田んぼの在る」コースです。
遠くに山並みを眺めながら、田んぼを渡る風に吹かれ、空を眺めながら、この地で育った84年の歳月を思い浮かべながら歩きます。
ゆっくりと。
そして、やがて〈永遠のふるさと〉に還って行く時、私は、この故郷の地を、濃縮された84年を旋回し、反芻しながら空に溶け込むことを夢見るのです。
きっと、その時、
〈今まで歩いてきた道も、
これから歩いて行こうとする道も
見渡すことができる〉のかもしれません。
〈ゴマメのばーば〉
でも、残念だったことも。
私は、若い頃からキリスト教会へ通っています。
肺腺ガンやら何やら持病を持っている私は、〈コロナ〉が始まって以来、教会での礼拝は欠席し、牧師先生から送られてくる週報にあわせて自宅での礼拝をさせていただいております。
教会では、感染対策をしっかり保った礼拝が行われていますが、交通機関での移動、その他を考慮し、しばらく休ませて頂いていました。
ワクチンは6月に接種済み。
新規感染者も少なくなりました。
万全とは言えませんが、体調も、徐々に良くなって来ましたので、1年8か月ぶりでの礼拝に出席するつもりで、心身の準備をしておりました。
「さあ、明日の礼拝に行くぞ」
と、準備していたにもかかわらず、当日(本日)になって、体調、その他の要因もあって欠席せざるを得なくなってしまったのです。
ザンネンと言うか、身体の力が抜けてしまいそうな気分になってしまいました。
でも、今日のこの天気です。
空や、狭い庭を眺めながら、暖かく穏やかな立冬の日を味わっていました。
牧師先生から毎週送られて来ます「牧師説教要旨」に、星野富弘さんの詩が紹介されていました。
これから私の歩いて行く道には、
どんな峠があるだろう。
泣きながら登らなければならない
坂道もあるかもしれない。
しかしその先にも、あの日時計のある
明るい峠があることを、
忘れないでいようと思う。
そしてそこからは、
今まで歩いてきた道も、
これから歩いて行こうとする道も
見渡すことができるだろう。
(星野富弘詩画集『いのちより大切なもの』より)
私の好きな散歩道は、「田んぼの在る」コースです。
遠くに山並みを眺めながら、田んぼを渡る風に吹かれ、空を眺めながら、この地で育った84年の歳月を思い浮かべながら歩きます。
ゆっくりと。
そして、やがて〈永遠のふるさと〉に還って行く時、私は、この故郷の地を、濃縮された84年を旋回し、反芻しながら空に溶け込むことを夢見るのです。
きっと、その時、
〈今まで歩いてきた道も、
これから歩いて行こうとする道も
見渡すことができる〉のかもしれません。
〈ゴマメのばーば〉