ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

♪歩きはじめる♪

2014-09-25 07:55:17 | 日記
昨晩、震度4の地震が二回ありました。
強くとも短い揺れだったような気がします。
地震の際、とっさに気にかかるのは、福島第一原発の状況です。
東北電力の発表があるまでは落ちつきません。

地震の揺れは、心身に生理的な不穏さを呼び起こします。
それに、昨晩は暗いニュースを見ていただけに、不穏さが いつもより増幅されてしまいました。
米国の、「イスラム国」拠点の空爆。
行方不明となっていた神戸市長田区の小学1年生が遺体で発見。

シリア政府は、この米国とアラブ5カ国が参加した空爆を、「テロとの国際的な戦い」として、
事実上容認する姿勢を示していますが、『爆撃』の映像、それは架空のものではなく、その現状に
人間がいることを思いますと、何ともやり切れない暗い気持に落ち込んでしまうのです。

まずいものを口にした後は、「口直し」を頂きます。
何か視覚的な「口直し」はないものかと、テレビのチャンネルを あちこちまわしてみましたら、
連続ドラマ最終回・『若者たち』が映っていました。

このドラマ、1966年に放送された「若者たち」(田中邦衛主演)のインパクトが強かったので、
つい対比して観てしまいます。

旭(妻夫木聡)が、ぐちゃぐちゃに涙をこぼしている場面が映っていました。
私は妻夫木聡が大好きなのです。
大きい声では言えませんが、(そっと、ばーばの よく目で言わしていただけば)孫に似ています。
じーじは、
「単に、目が大きくて睫毛が長いのが似てるだけ」
と否定しますが、誰に迷惑をかけるわけではなし、私は似ていると思っているのです。
森山直太郎の「若者たち」の歌は、少し垢ぬけ過ぎ………の感じもしますが。
でも、直太郎も好き。

♪空に また
陽が昇る時
若者は また 歩きはじめる♪
と口ずさんでいましたら、気分が安らいできました。

本日のパソコン講座、「エクセル」を少し復習。
『Σ』の記号などがあって、なんだか気分は、学校の教室に戻ったのです。
♪「ばーば」は また 歩きはじめる♪

日付が変わっていました。
「おはよう」でしょうか。
それとも、
「おやすみなさい」でしょうか。
                                    〈ゴマメのばーば〉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《もはや悲しみも嘆きも労苦もない》

2014-09-24 07:19:58 | 日記
東日本大震災と原発事故から3年半。
広島の土砂災害からは一カ月経ちました。
広島では、最後の行方不明者がみつかりました。
福島県内での行方不明者は204(22日現在)人です。
ただただ合掌するのみです。

愛する家族・友人・知人を失った痛みや苦しみは、容易には癒されません。
大切な人の「死」だけでなく、事故そのものも受け入れたくないことなのです。
まして、行方不明という宙吊りの苦しさは、他から慮ることなどできはしません。
『露の世は 露の世ながら さりながら』(小林一茶)。

23日のテレビ小説「花子とアン」の中で、花子の夫・英治が、
『子どもを失った悲しみは、時間が癒してくれるものじゃない………自分が乗り越えなくちゃぁ』
と言っていました。
『自分で乗り越える』
でも、これが出来ないのです。
私の友人は、大学生の息子さんを20数年前に交通事故で亡くしています。
今でも、月命日は、かかさずに お墓へ詣でています。

50年以上前に、私は母を失いました。
苦労の多い人生を歩んできた母でした。
甘えん坊で末っ子の私は、どちらかと言うと親不孝ものだったと思います。
あの時の思い・痛み。
明日を生きて行けるだろうかと………。
なぐさめなど聞きたくもなく、ただ一人 うずくまっていたいだけでした。

21日の教会礼拝。
説教題は『もう泣かなくともよい』(ルカによる福音書7章から)でした。
母のことを思い出しましたが、母への想いは、もう「悲しみ」を連れて来ません。
やさしさや、懐かしさだけを伴なって やって来ます。
牧師先生は、「ヨハネの黙示録」からも引用なさって語られました。

《ヨハネの黙示録21章 3~4節》
………神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからからである。

なぐさめの言葉は、「悲しみ」を癒してくれません。
「悲しみ」には、寄り添ってくれる人がほしいだけなのです。

昨日は お彼岸の中日。
義母のお墓参りへ行きました。
帰りに少し贅沢を。
コーヒー、一杯、〇〇〇円。
                                  〈ゴマメのばーば〉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私も、『がってぃんならん』と。

2014-09-23 07:08:59 | 日記
沖縄・辺野古の浜では、20日、普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画に反対する大規模な
集会が開かれた、と報じられました。
「子や孫のために新基地建設を止めよう」
と、5千人を超す人達が
『がってぃんならん』(合点がいかない)
と「反対」の声をあげたそうです。

沖縄の基地問題を考えますと、いつも、申し訳ない思いに駆られます。
他県に住む者が、「私も、移設計画には反対です」と言うのは、何となく軽々しく捉えられるかも
しれませんが、『反対』したいと思います。

それにしても、
『がってぃんならん』ことが、多すぎます。
〇 経団連の「政治献金」
〇 原発再稼働に対する あれこれ
〇 じわり じわりと広がる物価高
   (不安材料になっている円安の進行も、日銀総裁は、
   「大きな問題があるようには思っていない」などとの発言)
〇 「朝日」バッシング。
  「誤報」は糺さなければいけません。
   これは自明なことです。
   でも、何か本質が ずれて行くキケンさと、怖さを覚えています。
〇 「集団的自衛権」「特定秘密保護法」などは、もちろんです。

『がってぃんならん』ことには、
『合点がいきません』
『反対』
ですと、声にしなければいけないのだと思います。
声に出せなくなってしまっては大変ですから。

茨木のり子さんの「詩」を一つ。
     
    『灯』
     ひとの身の上に起ることは
     我が身にも起りうること

     よその国に吹き荒れる嵐は
     この国にも吹き荒れるかもしれないもの

     けれど想像力はちっぽけなので
     なかなか遠くまで羽ばたいてはゆけない

     みんなとは違う考えを持っている
     ただそれだけのことで拘束され

     誰にも知られず誰にも見えないところで
     問答無用に倒されてゆくのはどんな思いだろう

     もしも私が そんな目にあったとき
     おそろしい暗黒と絶望のなかで

     どこか遠くにかすかにまたたく灯がみえたら
     それが少しづつ近づいてくるように見えたら

     どんなにうれしくみつめるだろう
     たとえそれが小さな小さな灯であっても

     よしんば
     目をつむってしまったあとであっても
                 (1993年12月「アムネスティ人権報告」)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

振り向いたら………。

2014-09-22 06:03:26 | 日記
お彼岸です。
墓参りに行って来ました。
真っ青な空。
風も無く、空気も、深呼吸したいほどに澄んでいます。
夫や、近くに住む娘が、クルマで送って行ってくれると言うのですが、墓参りへは一人で出かけます。
足腰は歳の割に丈夫。
バスを乗り継いで行くと、ゆったりした時間を楽しめるからです。

ご先祖様と呼ぶには まだ身近すぎる祖父・父母・若くして逝った姉などのお墓に お参りし、
それから 親のようにお世話になった姉たち夫婦のお墓へも。
昨日、この姉の息子夫婦が墓参りにやってきて、私のところへも寄ってくれました。
梨・りんご・地元の野菜など、少しばかりですが、買い求めて置いたものを持たせてやりました。

今日、お墓へ行きましたら、
〈昨日は、息子たちが、ごちそうさま。ありがとう〉
と、姉の声。
振り向いたら、遠くを新幹線が走り去って行くのが見えただけ。
吉野 弘の詩・「石仏」を思い出しました。

    『石仏』………晩秋
      うしろで
      優雅な、低い話し声がする。
      ふりかえると
      人はいなくて
      温顔の石仏が三体
      ふっと
      口をつぐんでしまわれた。
      秋が余りに静かなので
      石仏であることを
      お忘れになって
      お話などなさったらしい
      其処だけ不思議なほど明るく
      枯草が、こまかく揺れている。

〈石仏〉さまの姿は、そこには見えず、晩秋には まだちょっとありますが、
〈其処だけ不思議なほど明るく〉
そんな、明るさだけが広がっていました。

もしかしたら、
「石仏」さまは、かくれんぼでも なさっていらっしゃったのでしょうか。
                                  〈ゴマメのばーば〉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【いいね】を。

2014-09-21 06:05:33 | 日記
会津若松へ行って来ました。
月一回開かれる館長講座「はじまりの東北学」を受講するためです。
ひと月前にいった時は、まだ夏の暑さが残っていたのですが、風も涼やか、雲も柔らかく
ふわふわしていましたので、空を眺めると、
『羊さんが一匹、羊さんが二匹、羊さんが………』
と数えて眠たくなりそうです。

「会津祭り」の幟があちこちに はためいていました。
23日には、「会津藩公行列」もあるそうです。
戊辰戦争で会津藩の「白虎隊」が飯盛山で自刃してから、150年近く経ったのです。
飯盛山を、眺めながら、自刃した少年たちのことなどに思いを馳せました。

もし、自刃した白虎隊の魂が、飯盛山から、お祭りを眺めていたら、何を想い、
何を感じるのでしょう。
賑わう城下町のお祭りを、安らいだ眼差しで眺めているのでしょうか。
原発事故で、観光客が減少したと言われていましたが、ずいぶんと快復したようです。
お城近くの駐車場には、観光バスが何台も駐車。
修学旅行でしょうか、小学生の姿が数多く見受けられました。
ありがたいことです。

そういえば、太平洋戦争の際、会津若松歩兵第29連隊が、ガダルカナルで闘っています。
死んだ兵士の魂は、祖国の平和な祭りの姿に、何を想い、何を感じるものなのでしょう。
故郷に帰って来ているのでしょうか。

「はじまりの東北学」の講座を終え、県立博物館内のレストランで、一休み。
東の山並みや庭の佇まいを、しばし眺めていました。

東北って何だろう。
福島って何だろう。
国って何だろう。
世界って。

心に浮かぶ あれこれを、凝視するでもなく、無視してしまうわけでもない、
そんな ひと時です。
でも、私の好きな「時」との付き合いなのです。

講座で教えて頂いた菅江真澄の東北の旅は、
《………自然にあるところの事実、そこで生きられている現実、………冷たく分析したり
批評したりしようともしない。まして、外からこれを罵ったり嘲ったりしないばかりか、
これを同情してかばうというものでもない。あるがままに、
………真澄の旅は、ただそれだけのもの………》
(高橋富雄東北学論集 地方からの日本学 第2集みちのく未知の奥 から)

私は、【いいね】を押しました。
                                   〈ゴマメのばーば〉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする