散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

「冷戦の起源」の起源(1)~身体への異物侵入による汚染への恐怖

2015年05月26日 | 永井陽之助
「健康な身体が外部からの異物侵入で汚染されるという共同幻想こそは、孤立した大陸帝国アメリカの底流に潜む土着神話の中核にあるものである」(「冷戦の起源」はじめに)。僅か最初の数頁に、その本の核心部分を端的に提起している歴史書はそれほどないのかもしてない。尤も、ご当人が「歴史叙述の慣例を破り…」と云っているくらいだから、それも当然なのだろう!

この“はじめに”に表れた著者・永井の顔は、米国・政治的風土の研究者としての一面を示すものだ。氏は米国の歴史家・リチャード・ホフスタッター(ウキでは政治史)を、米国を深く知る3名の知識人のひとりとして挙げていた。因みに、他のふたりはデービット・リースマン、サミュエル・リューベルだ。

丁度、筆者がゼミ形式の授業を受けていたときに書かれた「解体するアメリカ」(中央公論1970年9月号)では、次の様に紹介している。「『改革の時代』や『アメリカ生活における反知性主義』などの名著で名高い、リチャード・ホフスタッター(コロンビア大学教授、1970年10月白血病のため死去)は自ら“ラディカル・リベラル”と規定するだけに…」。

これは想像の域を出ないが、永井はホフスタッターの研究スタイルを深く理解して、米国の思想と行動を知るには、その風土的基礎にまで掘り下げて把握する必要を感じたのではあるまいか。

こんなことを今、書きながら思いついたのだが、ウキを調べている処で、『反知性主義』が既に幕張高等学校・附属中学校校長・田村哲夫によって、2003年に翻訳されていることを知った。こんな偶然もあるのだ。翻訳されれば、是非、読んでみたいと、当時も考えていたから。閑話休題。

さて、米国の政治的風土に関して、最初の引用の前に永井は次の様に述べる。
「1962年に私が初めて渡米したとき、奇異に感じてならなかったのは、当時、ケネディ政権下で全国的な広がりを見せていたフルオリデーション反対運動の狂気じみた激しさであった。…」

この反対運動については、永井が翻訳した論文集「政治について」(リースマン(みすず書房)1962、原題「冷戦のインパクト」)で触れられており、おそらく永井は各論文について、出版以前に読んでいたのではないか。

『アメリカの危機』(1960)の中でリースマンは次の様に言う。
「マッカーシーは死んだが、国内が外国のスパイや諜報機関によって侵されるという恐怖感は、アメリカ生活の一種の風土病であって、全国的には静まったとはいえ、地方ではまだまだ生きている。例えば、この十年間、たいへんな数の地方都市が、水道のフルオリデーションの危険性というバカバカしい空想から、これに猛烈な反対運動を起こした」。

十年前とは、吹き荒れたマッカーシー旋風が醒めやらぬ最中であるから、引き続きと言っても良い。一方、日本ではこのことについて、何も報道はなかったのではないか。しかし、永井の鋭い感受性は草の根からの反応として、これを奇異に感じたのだ。この辺りに並の学者にはない特異性を感じる。

このあたりが、「冷戦の起源」を書き起こす最初のトリガーだったと、今にしてみれば思うのだ。永井の特長は感受性と共に感じたことを調べ、考え、関連する現象、知識を構造化して理解しておくことだ。それが遂には、凝縮した表現として開花することになる。

永井と同様の感受性を示す文化人類学者・山口昌男は、フルオリデーションは知らないが、ピュアな飲料水を求める米国人の行動から次の認識に達している。永井も本の中で引用している。
「…エチオピアに滞在中、あるアメリカの援助技術者の家族が、飲み水は米空軍機で空輸されるミネラルウォーターに決め、野菜も殺菌の行き届かない土地の産物は避けるという話を聞き、いかにもピューリタンの伝統の下で赤狩りを経た国の人間が考えそうな…病原菌絶滅主義は意外な処に転移する…そのような生活スタイル自体、コントロールを越えた、更に重い病の兆候…」。
 山口昌男 『病の宇宙誌』(「知の遠近法」所収(1976)岩波書店)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする