散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

母の死:白寿を迎えた後に~自分史余滴(10)

2022年11月03日 | 個人史

十月は母が生まれた月だった(大正12年10月12日)、また、亡くなった月にもなった(令和4(2022年)10月28日)。享年99歳、「白寿」の祝いを終えて間もなくでもあった。更に十月は父の命日(昭和42(1967)年10月22日)でもある。

母の父(祖父)は会津に育ち、結婚後、上京して下町で布団屋を営む。しかし、妻に先立たれ、後妻(祖母)を迎える。そして大正12年9月1日、関東大震災が発生、下町は昼間の地震で出火し、火に包まれる。祖母は大きくなったお腹を抱え、子ども達を連れて逃げ惑ったそうだ。母の直ぐ上の兄(三、四歳?)は、付近の小名木川で船に乗って逃げる際、「足を滑らして行方不明のままであった」と祖母に聞かされた。また、連れられ、毎年の慰霊式に行ったそうだ。

一方、祖母は流産を心配されたそうだが、無事、出産に至る。
秀子と名付けられたが、本人は火が出て生まれた子だから、「火出子=秀子」だと言われたそうだ。この名前の由来には、筆者は江戸っ子の意気地を感じる。

 

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