突然通行止 2013年11月13日 | Haiti 朝、いつもの通勤路が突然の通行止め(写真)。当然のように、迂回路の指示もなく、通勤時間帯を外して工事する気配りもない。 周辺の舗装工事が始まっていたので、そろそろしばらく通れなくなる日がくるかなと思っていたら、突然のこれ。文句言う分、そのエネルギーがもったいないので脇道を探して、事務所に到着。
住環境改善の提案書 2013年11月11日 | Haiti 某援助団体が募集している住環境改善のプロポーザルを、自分の部署のスタッフらと用意している。対象地区がうちの団体が2010年から2012年にかけて仮設住宅を建設していた場所なので、コミュニティ、地形や人口、土地所有者のデータなどの勝手は分かっている。 それでも、すべて文章で表現しないといけないので(もちろん数字やスケッチも使うけれど)、限られた語彙を搾り出す感じ。残念ながら、今回は英語で提出なので自分が中心となって草稿を提出せねばならす(仏語やったら、周囲の皆さんにお任せできるんやけど)、頭が痛い。もちろん、チェックはネイティブにやってもらう。 今日は対象地区をじっくり歩き回った。途中で、3年近く前に建てた仮設住宅が状態良く残っているのを見て、嬉しく感じた(写真:設計の質以上に、立地条件も良かったのだろう)。本当は恒久住宅に建て替えられたらいいんやろうけど、ハイチ国内に建てられた約12万棟の仮設住宅が全てそうできるわけではなく、維持管理しながら住み続けていく被災家族が実際は多くなるだろうと思う。
竣工式 2013年10月31日 | Haiti Permanent House(恒久住宅)が出来上がって(竣工して)、被災者家族への引き渡した後、その4家族、行政やうちのスタッフと記念写真。長い長い道のりだったが、やはり出来上がると嬉しい。 後から観ると「何人乗っても壊れません」みたいな写真になった。それにしても、集合写真ではいつも誰かが携帯で話してる。写真撮る間だけでも、我慢できへんものかな。
今日の昼食 2013年10月29日 | Haiti 職場近くの国連の食堂でお昼ごはん。揚げた鶏肉は陳列されていたサンプルよりもデカく、長い方の幅は30センチ近くあった。食堂の人に聞くと利用者には制服組(警官、軍人)が多いから、質より量が求められるとのこと。ちなみにこれで7米ドル。 つい全部たいらげてしまったが、これではメタボ路線まっしぐら。
夕焼け雲 2013年09月23日 | Haiti ハイチでいいなと思うこともいくつかある。海のきれいさと特に夕方の雲の形とか。日本の夏の雲もそうだけれど、ダイナミックな形や情景は見ていて飽きない。毎日眺めているわけではないのだけれど。 今日は送別会があって、早めに事務所を出た。会場入りする途中でふと見上げると、夕焼けで赤く染まった雲とまだ青さが残る空が目に入った。その対比がハイチの国旗のようであった(上下が反対の)。感傷的になっていた心情がその情景と重なったのか。この写真ではその鮮やかさが伝えきれないのだけれど。
久しぶりに更新 2013年09月09日 | Haiti 久しぶりに更新する。いろいろ理由はあるけれど、ブログをやってたことを忘れるぐらい慌しかった、かと。 こないだ山本有三著の『波』という小説(1923年、朝日新聞に連載)を読んだ。昭和初期の生活描写が現代ハイチの庶民の生活に通じるところがあって、日本も貧しかったのだなあと思ってみる。もちろん著者の意図とは別の観点からなのだけれど。
ハリケーン・シーズン到来 2013年07月09日 | Haiti 毎年の事で、ハリケーン・シーズンがやってきた。昨日から思い出したように担当者がメール等で忠告する。今回のシャンタル(毎回、名前がついている)はこのまま行くと10日午後にハイチを直撃するらしい。 その進行状況を見るのに、数あるウェブサイトからお勧めなのはStorm Pulse。半日ごとの進路予測をクリック一つで見ることが出来る。 ハイチをそれても隣国のドミニカ共和国やキューバ、ジャマイカなどに被害が出るのは免れず、どうかその規模が小さくなって欲しいと願うのみ。後は屋根が飛ばないように、工事中の屋根をしっかり固定すること、数日分の食料を確保すること、等々。
といあわせ 2013年07月05日 | Haiti 欧米の学生を中心に、彼らが夏休みに入る前頃(4、5月)から、インターンや資料文献の問い合わせ、調査やインタビューの依頼などが舞い込むようになってきた。周りを見渡しても、震災後3年を超えてハイチに居る外国人復興関係者はそんなに多くないので、自分に話が回ってくるのだろうが、今年は特に多いように思う。今のところ10件程度。 仮設住宅の現状にて、震災復興の進行状況について、など各個人によってテーマも興味も対象物も異なる。自分が学生の時にお世話になった見ず知らずの方々へのお礼も込めて、時間の許す限り対応している。純粋に復興支援に興味を持ってメジャーな文献をチェックしてから自分なりの仮説をたててコンタクトしてくるものもいれば、とりあえずメアドがある奴に質問項目をコピーペーストで一括送信してまえという学生もいて、まあ人それぞれ。メールを返した際には、お礼の返事をよこせとは言わないが、届いたかどうかの連絡はしろと言いたい。まあ単位取得で忙しいのだろうと想像するが。 中にはさらに非常識な輩もいて、「ヒアリングしたいので仮設住宅居住者の連絡先をシェアしてくれませんか」と平然と聞いてきた。そいつには、「君は自分の国の役所に行って、生活保護受給者のリストをくださいと要求しているようなものだ」と返すと、何の返事もない。
お宅訪問 2013年06月29日 | Haiti Port au Princeの高台に位置するPetion Villeよりもさらに数百メートル上がったMorne Calvaireという超高級住宅の中にある一軒家で、ハイチ・アート・フェアなるものが開催されたので、友人Rとのぞきに行く。 芸術作品以上に興味をそそられたのがその住宅。庭には色とりどりの花が咲き、住宅は斜面上に建っていて、斜面の岩をそのまま内部に取り入れてしまったという斬新な発想(写真)。1970年代頃の竣工と思われ、当時でも海外旅行できたクライアントか建築家の意向と想像する。上流階級の生活を垣間見られた一日だった。
現場の合間で 2013年06月27日 | Haiti ミーティングの帰りに久しぶりに現場へ立ち寄る。着工までにいろいろ問題のあった事業もようやく滑り出し(今も問題は山積みだけれど)、なんとか支援団体に報告できるレベルまでやってきた。まあ、その話はここに書けるような内容ではないので横に置いとく。 現場と他の現場の間に、敷地の半分を階段が占めるのではないかというぐらい極小敷地に建てられた家を見つけて、のぞいて見る。宿題っぽいことをしてた(後で聞いたら期末試験前の勉強中だった)女の子らが、警戒しつつも「シノワ(中国人)?」と聞いてくるので、「ジャポネ(日本人)」と答えると、予想外だったのか今まで日本人を見たことなかったのか、急に人懐っこくなって、写真にも笑顔で応えてくれた。 この子らの将来のために、家を造っていると思えば、抱える苦労も少しは緩和された気がする。