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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

夕焼け雲

2013年09月23日 | Haiti
ハイチでいいなと思うこともいくつかある。海のきれいさと特に夕方の雲の形とか。日本の夏の雲もそうだけれど、ダイナミックな形や情景は見ていて飽きない。毎日眺めているわけではないのだけれど。

今日は送別会があって、早めに事務所を出た。会場入りする途中でふと見上げると、夕焼けで赤く染まった雲とまだ青さが残る空が目に入った。その対比がハイチの国旗のようであった(上下が反対の)。感傷的になっていた心情がその情景と重なったのか。この写真ではその鮮やかさが伝えきれないのだけれど。

久しぶりに更新

2013年09月09日 | Haiti
久しぶりに更新する。いろいろ理由はあるけれど、ブログをやってたことを忘れるぐらい慌しかった、かと。

こないだ山本有三著の『波』という小説(1923年、朝日新聞に連載)を読んだ。昭和初期の生活描写が現代ハイチの庶民の生活に通じるところがあって、日本も貧しかったのだなあと思ってみる。もちろん著者の意図とは別の観点からなのだけれど。

ハリケーン・シーズン到来

2013年07月09日 | Haiti
毎年の事で、ハリケーン・シーズンがやってきた。昨日から思い出したように担当者がメール等で忠告する。今回のシャンタル(毎回、名前がついている)はこのまま行くと10日午後にハイチを直撃するらしい。

その進行状況を見るのに、数あるウェブサイトからお勧めなのはStorm Pulse。半日ごとの進路予測をクリック一つで見ることが出来る。

ハイチをそれても隣国のドミニカ共和国やキューバ、ジャマイカなどに被害が出るのは免れず、どうかその規模が小さくなって欲しいと願うのみ。後は屋根が飛ばないように、工事中の屋根をしっかり固定すること、数日分の食料を確保すること、等々。

といあわせ

2013年07月05日 | Haiti
欧米の学生を中心に、彼らが夏休みに入る前頃(4、5月)から、インターンや資料文献の問い合わせ、調査やインタビューの依頼などが舞い込むようになってきた。周りを見渡しても、震災後3年を超えてハイチに居る外国人復興関係者はそんなに多くないので、自分に話が回ってくるのだろうが、今年は特に多いように思う。今のところ10件程度。

仮設住宅の現状にて、震災復興の進行状況について、など各個人によってテーマも興味も対象物も異なる。自分が学生の時にお世話になった見ず知らずの方々へのお礼も込めて、時間の許す限り対応している。純粋に復興支援に興味を持ってメジャーな文献をチェックしてから自分なりの仮説をたててコンタクトしてくるものもいれば、とりあえずメアドがある奴に質問項目をコピーペーストで一括送信してまえという学生もいて、まあ人それぞれ。メールを返した際には、お礼の返事をよこせとは言わないが、届いたかどうかの連絡はしろと言いたい。まあ単位取得で忙しいのだろうと想像するが。

中にはさらに非常識な輩もいて、「ヒアリングしたいので仮設住宅居住者の連絡先をシェアしてくれませんか」と平然と聞いてきた。そいつには、「君は自分の国の役所に行って、生活保護受給者のリストをくださいと要求しているようなものだ」と返すと、何の返事もない。

お宅訪問

2013年06月29日 | Haiti
Port au Princeの高台に位置するPetion Villeよりもさらに数百メートル上がったMorne Calvaireという超高級住宅の中にある一軒家で、ハイチ・アート・フェアなるものが開催されたので、友人Rとのぞきに行く。

芸術作品以上に興味をそそられたのがその住宅。庭には色とりどりの花が咲き、住宅は斜面上に建っていて、斜面の岩をそのまま内部に取り入れてしまったという斬新な発想(写真)。1970年代頃の竣工と思われ、当時でも海外旅行できたクライアントか建築家の意向と想像する。上流階級の生活を垣間見られた一日だった。

現場の合間で

2013年06月27日 | Haiti
ミーティングの帰りに久しぶりに現場へ立ち寄る。着工までにいろいろ問題のあった事業もようやく滑り出し(今も問題は山積みだけれど)、なんとか支援団体に報告できるレベルまでやってきた。まあ、その話はここに書けるような内容ではないので横に置いとく。

現場と他の現場の間に、敷地の半分を階段が占めるのではないかというぐらい極小敷地に建てられた家を見つけて、のぞいて見る。宿題っぽいことをしてた(後で聞いたら期末試験前の勉強中だった)女の子らが、警戒しつつも「シノワ(中国人)?」と聞いてくるので、「ジャポネ(日本人)」と答えると、予想外だったのか今まで日本人を見たことなかったのか、急に人懐っこくなって、写真にも笑顔で応えてくれた。

この子らの将来のために、家を造っていると思えば、抱える苦労も少しは緩和された気がする。

カブール職員殉職

2013年06月20日 | Weblog
カブール事務所が襲われた時に、重傷を負っていたイタリア人Bさんが今日入院先のドイツの病院で亡くなった。知らせを聞いたとき、声を失った。銃撃戦が始まった時に、運悪く屋外に居たのが他の職員との運(生死)の分かれ目だったらしい。

昨日ソマリアで国連施設が襲われたが、うちの組織も同じ敷地に間借りしている(た)。うちの職員は大きな怪我にはならなかったようだが、他の国連職員や民間人が20名強も死傷した。これも紙一重なのか。

送別会の会場で思ったこと

2013年06月14日 | Haiti
幹部職員の一人でもある同僚マケドニア人Vの内輪での送別会があった。Vとは2010年2月時からずっと一緒で、いつも住宅建設関連に必要なデータやマップを彼の部署からもらっていた。名残惜しいが、大事業が始まるシリアへの異動なので、喜ぶべきだろう。

いつものように飲んだくれたのだが、この送別会Petion Villeの高級レストランで行われた。会計時に一人あたり100米ドル近くになり、ハイチ人の一月の食費分になるのではないかと、ちょっと罪悪感を覚える。テーブルの周りを見渡すと、外交官というよりも、上流階級のハイチ人たちが金曜夜の社交場に訪れた感じで、100名を超える客でいっぱいだった。

彼ら(上流階級のハイチ人)にはテント生活するハイチ人がどう見えているのだろうか。せめて税金でもきちんと納めてもらって、それらが社会公共事業につながってほしい、とは夢でしかないハイチの現実の一端を思い知らされた。主に富裕層でしかお金が循環せず、海外からの支援があってやっと本来の国が守るべき貧困層に手が差し伸べられる。それも充分だとは到底言えない。

静かな日曜の午後

2013年06月09日 | Haiti
仕事で行き詰ってしまったので、思い立って、午後から近くの海へ。車で2時間ほどかかると思っていたら、道路も整備され渋滞もなく、1時間ほどで着いた。

何をするでもなく、海岸線をぼおっと見て、暗くなる前に帰宅した。

ハイチ V.S. スペイン サッカー親善試合 in Miami

2013年06月08日 | Haiti
ハイチとスペインのサッカー・ナショナルチームの親善試合が、ポルトー・プランスから飛行機で1時間の米国マイアミで行われた。午後から自宅でテレビ観戦。全く格が違うと思われた国同士の対戦だったが、ハイチは健闘して1対2で負けた(ブラジルに行く途中のスペインが、本気じゃなかったのかもしれないが)。システマチックに動くハイチの選手達を見ていると、普段まず見られない光景になんとも言い難い心境になった。ユニフォームの上が青に少し赤い部分が入って、パンツは白、と一見したら、日本とよく似た配色だった。

カブール事務所復活

2013年05月31日 | Weblog
襲撃事件があった日から1週間もたたないうちに、アフガニスタンのカブール事務所が事業を再開した。某欧州出身のスタッフが大やけどし、病院に入院している以外にはスタッフの状態についてはニュースが入ってこないので、大丈夫なのだろう。

事件は、うちの事務所やスタッフが直接標的にされたのではなく、特定の人物をめぐって、約6時間の銃撃戦が繰り広げられたらしい。どんな状況だったのか想像に難くない。その攻防戦の中で、うちのスタッフを守ろうとアフガニスタン人警察官が殉職した。

事務所を再開するにあたっては、内部でいろんな議論があったことだろうが、ここでテロに屈してはいけない、という判断だろう。現地のスタッフに敬意を払うと共に、殉死した警察官遺族への募金に協力する。

母の日

2013年05月26日 | Haiti
ハイチでは5月の最終日曜日が『母の日』。第2日曜が全世界共通とばかり思っていたら、米国とそれにならった日本ぐらいで、各国それぞれ違うらしい。今日が『母の日』の国は隣国のドミニカ共和国やハイチ旧宗主国のフランスなど。ポルトー・プランスの街頭では、花束や花飾りがたくさん売られていた。旦那や息子が奥さんや母上に送るらしい。

昼から、もうすぐ帰国される邦人3名の送別会。今回は20名の邦人が集まり、賑やかな会だった。数人に「こないだのBBQ大会以来ですね」と挨拶したら、「あれは○○さんの送別会でBBQの会ではない」と失笑された。ほぼ毎月、かれこれ何百人ものハイチ援助関係者の送別会に参加しているので、記憶がごっちゃになってしまう。これも言い訳かな。

Orchestra in Haiti

2013年05月25日 | Haiti
友人のパーティに来ていたハイチ人演奏家のつてを頼って、オーケストラのコンサートに招待してもらった。質はともかく、ハイチに楽団があることに感動。もっときちんと調べて早く知っておけば良かった。

開場予定時間になっても客を入れずにリハーサルを続け、開演予定時間より結局1時間送れて始まるあたりは、なんともハイチらしい。お客さんも怒った風もなく、演奏を楽しむあたりは見習わないと、神経がすり減りすぎて、ここでは仕事を動かしていけないなぁと改めて認識した。

カブール事務所攻撃

2013年05月24日 | Weblog
うちのカブール事務所(アフガニスタン)が攻撃されたと、昼休みにのぞいたBBC(英国放送協会)サイトのトップニュースになっていて、言葉に表せないほどの衝撃を受けた。

スリランカ事務所や駐日事務所からの知人4名がその事務所で働いているので、彼らの無事が懸念された。追って、本部人事部長からの全スタッフへのメールが来て、負傷したスタッフは出たが、死亡者はいないとのこと。それでも事務所が狙い撃ちされるとは、大変なことになった。

一緒に昼食を取ろうとしていた友人R(スリランカ時代からの親友)が食事も喉を通らないほどの影響を受けている横で、それでも食べて昼からの仕事に備えないとと平穏を装う自分がいた。

夜、一人になって、ふとこの業界で仕事を続ける不安が出てきた。

Flag Day

2013年05月18日 | Haiti
今日はハイチの「国旗の日(Flag Day)」。フランスとの戦いと独立を象徴するハイチ国旗の誕生を記念した日で、今年で210回目を迎えた。

祝賀式典が行われて、街中のあちこちで検問があった。いつもよりお店が閉まっていて、交通量も少ない、比較的静かな日だった。