goo blog サービス終了のお知らせ 

in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

男子サッカー・メキシコ金メダル

2012年08月11日 | Mexico
朝起きると生中継でやっていたオリンピック男子サッカーの決勝戦ブラジル対メキシコに見入る。メキシコチームが立ち上がりにあげた先制点でリードしたまま、メキシコ勝利そして初金メダル。終わると同時に町中のあちこちで歓声が上がり、独立広場は勝利を祝う人々でごったがえし。

「メキシコ大会(1968年)の3位決定戦で日本に負けたときは、本当に悔しかった。今回はその借りを返したんだ」というおじさんにも出会った。中南米のサッカー熱はすごい。

搭乗券

2012年08月09日 | Haiti
出国手続きをして、搭乗口を前に、ふと搭乗券を見たら、別人の名前やった。

さすがにビックリしたというか(そういったミス自体には慣れっこなんやけど、もうすぐ離陸する飛行機に乗れんかったら困るという理由で)焦った。搭乗券が2枚あって、乗り継ぎ後の便は自分の名前やったので、気がつかなかったのだろう。「最初の便の搭乗券が間違っている」と近くの航空会社の係員に伝えると、搭乗券を持って走っていった。

で、戻ってきたら、最初の便も乗り継ぎ便の名前も、別人(それも女性名)のやつを持ってきた。向こうもさすがに焦ったのか、その航空会社スタッフの上司みたいな人が、再度走っていって、正しい搭乗券を持ってきてセーフ。謝るかわりに「もっと早く言いなさい」と予想通りの態度に出るので、怒鳴ってやろうと思ったがそのエネルギーがもったいなかったので「名前を教えてくれ、会社にクレームするから」と告げるとすぐに態度が変わり、わかりやすかった。日本人は大人しいからって、なめたらあかんで。

Permanent House

2012年08月02日 | Haiti
ハイチの震災復興関係の話を最近していなかったので、ここらでPermanent House建設の話題を(Permanent Houseは、開発業界の日本語にすると恒久住宅となるみたいだが、復興住宅と訳したほうが自分にはしっくりくる)。

大統領選挙や首相の決定が遅れて、政府がほとんど機能していない2010-11年であったが、昨年後半よりなんとか動き出して、それに伴い復興関連の事業も徐々に姿を見せ始めた。復興興住宅の基準も(何となく)できあがってきた。未だに国の目標戸数がいくつなのか、どこに建てるつもりなのかはっきりしないが、1戸当たり6,000米ドル(約50万円)というあたりまでは明文化され、他国政府や支援機関(世界銀行、国際NGOとか)の予算の目安となっている。

うちの職場でも、いろいろデザインを検討したが、6,000米ドル(工賃は含まれるが、援助団体の職員の給料とか経費は含めない)でできることは限られている、耐震基準も備えないけないし。土地の限られた都心部を対象に、2階建で12,000米ドルを予算とし、各階20m2の家を考えた(小さ!)。まあ、仮設住宅でも標準仕様の18m2が敷地に収まらず、削って12m2の奴を結構建てたので、しばらくこれで様子を見る。

今年4月から案を練り始め、5月から敷地と被災家族を選択肢し弁護士を通して土地問題を解決した後、6月にまず1棟を着工した。今日は2階の床スラブにコンクリを流し込む段階まで来たので、色見本で配色の検討(写真)。あまり選択肢がなく15分ほどで決めた。

ハイチでは被災キャンプを解消するために、仮設住宅を提供する以外の方法に、土地や戻る家がない人には、ある期間家賃を全額支援する事業が赤十字やうちの機関(他部署)で展開されている。日本の「みなし仮設(住宅)」とは、正確には違うけど、まあコンセプトは似ているかな。

で、その賃貸に出せる対象物件が、ポルトー・プランス都心部ではもう少ないということで、うちの機関がこれから建設する事業は、家が壊れた大家に1階(もしくは2階)に住んでもらい、行き場所のない被災家族に2階(もしくは1階)を数年間無償(もしくは微料の家賃)で提供することを条件に家自体を無償(他国民の税金もしくは寄付による)で提供するというものを展開予定。

復興住宅事業に関わると、スリランカ時代のように、赴任期間が長くなる傾向にあるが、まあこれも流れのうちか。日本でもアメリカでも全く報道されていないが、DRコンゴのKivu州(州都はゴマ)で先月より戦渦が激しくなってきて、異動どころではなくなった気がする。

Flower Carnival

2012年07月28日 | Haiti
毎度のことながら、突然の国家行事(今回は、国民の休日)の通知。7月29日(日)から31日(火)まで、19年振りにフラワーカーニバルが復活することとなった。大統領がテレビで開催を宣言していた(写真)。

うちの機関は休みにはならないが、スタッフは当然のごとく浮き足立ち、役所や企業が休むのでほとんど仕事にならない。商売をしている大家が、政府が半強制的にフラワー・カーニバルへの寄付を募っていて、参加しないと嫌がらせをされると怒っていた。資金がどこからくるのかと思っていたが、そういうことか。

独立記念日(米国)の夜

2012年07月04日 | Haiti
米国が独立記念日の今日は、アメリカから仕事関係のメールは一切なく(友人らからは挨拶メールが届いた)、気のせいかハイチ事務所も静かで仕事がはかどった。まとまった作業を片付けておきたかったので夜遅くなって、ぼちぼち帰った方がいいかなあと思っていると、「パン、パン、パン」っと銃声が外で響く。あー、やばいなぁ、今日は動かず事務所に泊まった方がいいかなと思いつつ、Security Officerに連絡を取りかけたのだが、もう少し様子を把握してからと、おそるおそる外を見てみると、

しょぼい連発打ち上げ花火だった。

近所の医療関係NGOの敷地辺りから上がっているので、アメリカ人達が自国を思い、騒いでいるのだろう。電気のない一帯を明るく照らしていた。一安心した。

リトル。キャンディ

2012年06月28日 | Haiti

2枚の絵

2012年06月27日 | Haiti
Petit Goave事務所の現場所長をしていたF氏経由で、被災者からうちのシェルターの絵を頂いた(写真)。めちゃくちゃ嬉しかった。

2年3ヶ月前からの苦労からの成果が、このところ目に見えて表れてきている。怖いくらいに。

事務局長来訪

2012年06月24日 | Haiti
昨日から、うちの社長が本部Genevaから(ブラジルとアメリカでの会議の合間に)、約48時間の滞在でハイチにやって来た。

もちろん自分がコンゴ出張中から、準備は始まっていたのだけれど、自分は数日前にプレゼンをちょちょっと直した程度。まあ、もう何十回もいろんな人に話している内容やし。

今日は日曜日なので、政府要人と会う代わりに、現場視察の日。朝8時過ぎのプレゼンから、現場2箇所を担当する。90年代に米国大使としてハイチに数年赴任されておられるので、ハイチの政情はうちのどの外国人スタッフよりも詳しい。

建てた仮設住宅の中で、被災者の方にもお会いしていただき、2年前の自分がプレゼンした計画がその通り実行できたことを証明できて、とても嬉しく思った。彼は、計画以上の出来と、喜んでいただいた。同僚やうちのスタッフに感謝する。

3年目

2012年06月21日 | Haiti
ハイチでの活動が3年目に突入。2年前に赴任した時は、まさかハイチに2年も居るとは思ってなかったが、まあそういうこと。先月からの出張中に10種類近くのビールをいろいろ飲んだが、やっぱりハイチの「Prestige」が一番旨いと思う、今日この頃。

ニュー・ヨーク

2012年06月10日 | United States
週末をNYで過ごすことにして、前から観たかったフランス映画 Les Intouchables (The Intouchables)を上映している映画館を探すと、セントラル・パーク横に建つプラザ・ホテル近くの映画館(写真)でやっていた。

触れられない境遇(人種、社会的階級、身体能力、etc)の者同士が心を通わせていくという話で、ユーモアたっぷり、説教じみてないところがとてもよい。サントラ(Soundtrack)もとても洗練されていて(というか自分の好みに合っていて)、大満足の映画だった。

邦題は『最強のふたり』というそうだが、ちょっと違う気がする。日本では9月公開予定とのこと。各個性を尊重して介護する大切さ、をこの映画で主張する方も居られると思うが、もっと深い意図があるんやけどな。日本の生活環境では難しいかもしれないが。

<訂正>
去年5月にCooper Union新校舎のことを書いた。実はこの建物2010年にニューヨーク市で初めてLEED (Leadership in Energy and Environmental Design)に認定された大学施設とのこと。自然光や換気に配慮してあんな設計になっていたとは、さすがです。

まとめ

2012年06月07日 | Democratic Republic of the Congo
午前中はDRコンゴ事務所代表のM氏と、私の出張の総括と今後の課題について話す。

今回は以前のケニヤ(2009年)ハイチ(2010年)でのShelterを作る出張と目的が違ったので、やりにくかったが、まあ目的は達成したように思う。内容については触れられないが、アフリカで活動する難しさを短期間ながらまじまじと見せ付けられた。

昨晩会ったMさんの事務所にお昼を兼ねてお邪魔し、うちの社長へのお土産を頂戴する。夕方、ユネスコ本部に勤めるLさんと落ち合って空港に向かう。アフリカ担当ということで、DRコンゴを含め他の近隣5カ国の状況について話を伺う。DRコンゴについて『内戦でゴリラが殺されるとニュースになるが、内戦で人が殺されてもニュースにならない国』とLさんは表現する。そんな海外メディアの取り上げ方に疑問しつつも、内戦が当たり前すぎて記事にならないことも確かだ。

キンシャサ空港(写真)での手続きが素人にはとてもややこしくて(なんだかんだとお金を公式にせびろうとする)、見送りに来てくれたうちのスタッフM君と出国手続きをしてからはLさんに本当にお世話になる。空港棟で荷物検査をしているのに、搭乗口(正確には、機体に上がる階段の前の屋外広場)でAir France職員によって再度荷物検査が行われる。そのおかしなシステムに、もう何回もDRコンゴに来ているLさんは、『Air Franceは空港職員を全く信用していないから、搭乗口前での荷物検査は自衛の策だ』と教えてくれる。なんて国だ。

ほぼ時間通りにキンシャサからパリへ機体が飛び立った。今回の出張でもいろんな人に会い、貴重な経験をした。エジプト海軍のH氏らと大統領選挙を見たのもその一つ。

首都キンシャサ

2012年06月06日 | Democratic Republic of the Congo
朝スイス人のM氏がホテルまで迎えに来てくれた。朝7時50分に待ち合わせをしていたので、一応時刻どおりにロビーに下りていくと、時間きっかりにM氏が現れた。さすが時計の国スイス出身。

某大使館へ挨拶がてら表敬訪問。大使は震災直後にハイチに応援で入ったことがあるらしく、DRコンゴでの活動に加えて、ハイチの復興状況についても説明させて頂いた。

夜は同僚Cさんに連れられて、彼女の友人の送別会にまぎれて参加。初対面なのに皆とても感じが良い。仏語ができない私を気遣って、「今日は英語で」って誰かが提案したら、皆英語でずっと会話してくれてた。仏語圏ではまずあり得ない現象。まあ、人の良いCさんの知り合いの人々だからか、類は友を呼ぶって言うし。主賓の人はコンゴで6年働いていたらしい。以前コンゴで働いていたうちの社長(当時は別機関所属)と旧知の方に会い、当時のエピソードを伺う。また別の人が、明晩同じ飛行機でパリに向かうことが判明し、ご一緒させてもらうことにする。

国内大移動

2012年06月05日 | Democratic Republic of the Congo
15連泊したホテルをチェックアウト。首都のKinshasaを目指し、コンゴ国内を大移動。前日、貨物機(といっても政府軍兵士が乗っていたらしい)がGoma空港の滑走路で事故ったため、「飛行機が今朝になっても飛ぶかわからないが、とりあえず来て下さい」と言われて、飛行場にやってきた。見送りに着てくれたお世話になったD所長に厚くお礼する。

結局、3時間ほど待って、滑走路が使えないので、ヘリで移動。どこ行きとも告げられないまま、BukavuというKivu湖沿いの空港に着く。結構うるさかったが、乗り心地はよかった。



次の飛行機がいつ発つかもわからないまま、漠然と待っているとハイチで一緒に働いていたコロンビア人のBが後ろから「よう!」と声をかけてきた。今年初旬からKinshasaで働いていたのは知っていたが、直前に連絡が取れず会えずじまいかと思っていたら、こんなところで。Gomaへの出張途中だと言う。昔話(といっても去年や一昨年の話)や近況を話していると係員から呼ばれて、Bukavuを発つ。



機内壁にベージュのカーペットのような内装が使われていて、型はかなり古いが007の映画に出てきそうな飛行機で、Kisanganiという町に到着。この時点ですでに、午後3時半。明日10時に大事な約束があるのに、今日中に着けるかな、焦ってもどうしおうもないなと思っていると、待ち時間1時間ほどで、次の都市に向かう。





ようやくKinshasa空港に到着。時差が1時間あって、DRコンゴの首都Kinshasaまだ夕方5時過ぎ。が、誰も迎えに来てくれていないので、途方にくれていると、ちょっと遅れてうちの会社の運転手がやってきて一安心。「渋滞で遅れた」と言うので、また口実かと思っていると、空港から事務所までの道のりに結局3時間半もかかってうんざり。風景を見ていると、ハイチに戻ってきたようだ。目の前を、JAFのシールがついたトヨタのRav4が走っていたので、昔よくお世話になった知人や当時のことを思い出す。



事務所で到着を待っていてくれたスタッフと軽く打ち合わせをした後、事務所代表のスイス人M氏とベルギー人の同僚Cさんと中華料理屋へ。後ろのテーブルが日本人グループだったので、久しぶりに日本語を耳にした。

記憶に残る長い1日だった。

強制執行

2012年06月04日 | Democratic Republic of the Congo
明日はGomaから移動するので、事務所でのrecap。2週間はあっという間に過ぎた。

最後に気になっていた事務所近くの建物(写真)に何が起こったか聞いてみると、道路拡張工事に応じない持ち主に、行政が痺れを切らして拡張範囲に存在する部分をショベルカーで切り取ったとのこと。いわゆる強制執行ってやつか。

行政が何もしない国よりは、積極的なその姿勢にある程度の好感は持てる。が、一緒に仕事をするとなると、その強引さに苦労するだろうなあと想像する。

地球があんまり荒れる日には

2012年06月03日 | Democratic Republic of the Congo
DRコンゴに来ていることを知らない関係者から、コートジボアール(象牙海岸)にシェルターを作りに来ないかと連絡があった。声をかけてもらえるのは嬉しいが、ハイチ勤務のすぐ後にコートジボアールで大統領選挙後(2010年12月)の内紛で家を失った人々のシェルターをつくる、その気力が湧いてこない。

コートジボアールといえば前日本国大使の岡村善文氏が綴っておられたコートジボアール日誌。選挙後の内紛が激しくなってしばらく休止されて居られたが、最近エピローグを付記されておられる。2011年4月に大使公邸からの脱出劇は、震災直後の日本ではほとんど報道されなかったのではないかと想像する。

谷川俊太郎氏の詩集『二十億光年の孤独』の中に「地球があんまり荒れる日には」という作品があって、その中に以下のようなくだりがある。

“月がみている
 全く冷静な第三者として”

今晩は、そんな月夜だった。自分がするような仕事が必要のない、穏やかな日が地球にやってくると良い。