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史跡巡りとウオーキング   (第2回) 川島地区を歩く

2017年10月24日 23時56分37秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

史跡巡りとウオーキング の第2回に参加しました。第1回は山陽、山陰に旅行に行っていて参加できませんでした。今回は各務原市の川島地区を廻ると言うものです。
川島地区は史跡が多く、合併前の川島町が文化財の保護に力を入れていまして、多く文化財を紹介しています。



今日の資料。川島地区を歩きます。




集合場所が川島会館の北側の河川敷でした。




受講生が集合し、出発します。




川島会館の直ぐ横に説明板が有ります。




木曽川「川島の河身整理」の説明です。





その直ぐ横には河田渡河戦の説明板を見ています。




河田渡河戦の説明板。
この戦は関ケ原の合戦の前哨戦です。
山内一豊や池田輝政の名が有ります。池田輝政は姫路城になった人物です。
若き日は、合戦に参線していました。




堤防下の道路を歩いています。




小島三郎博士誕生之地。
石碑が設けて有ります。
大堀先生の解説では、三郎さんは磐田と言う姓でしたが、小島家へ養子に行き小島姓となったのだそうです。若少の頃から優秀で岐阜中学。一橋大そして東京帝大へと進んだのだそうです。国立予防研究所の所長を勤めたりしています。
医学の畑の人で、明治の生まれの人です。野口英世と出会っているかもしれません。




西養寺へ来ました。
この寺の境内は博文義校跡の石碑が立っていました。




フォックスフェイスの実が成っています。




フォックスフェイスの実と花です。
フォックスフェイスの実は生花に使いますが、花を見るのは初めてです。




こちらはカラスウリ。
路傍で垂れ下がっているのを見かけました。

こんな所にも秋を感じます。




松倉伊八島水没遺跡の標柱の横で大堀先生が説明しています。
遺跡は木曽川の中に有ります。
木曽川が、たびだびと流域を変えました。今は川の中ですが、川辺で生活していた跡です。




木曽川に来ました。
ここは渡し跡で、灯篭が有ります。




堤防の階段を登ります。




松倉の渡し跡の灯篭です。
ここの渡し。川島側は松倉の渡しと呼んでいますが、対岸は中屋の渡しと呼んでいました。
同じ渡しでも、自分側の言い方で呼び方が異なりました。




川島会館まで戻って来ました。



コメント
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