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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  「親鸞・蓮如 美濃の足跡」

2017年07月14日 23時40分12秒 | ヒストリー各務野会

今日はヒストリー各務野会が有った日です。講師はフリージャーナリストで「笠松を語り継ぐ会」を運営しておられる高橋恒美さんです。
今日のタイトルは「親鸞・蓮如 美濃の足跡」で~各務・岐南・笠松近辺における浄土真宗の歴史~と言う副題が付いていました。



講師の高橋恒美さんです。



今日のレジメです。
《イ》《ロ》《ハ》と説明が続いていきました。
岐阜は真宗王国なのですが、寺が西高東低で、東濃地方に少なく西に行くほど多くなっています。



親鸞と蓮如の美濃における年表です。




笠松や岐南町の寺。
親鸞像が有ります。
西入坊に珍しい蓮如像も有ります。



親鸞、蓮如と時代が移って行きます。




時代の移り変わりで、東と西が対立しました。
それが東本願寺と西本願寺となりました。





教如という僧侶。
岐阜県内を移っていきました。
逃亡順路と言う言葉が使われています。
先の大戦での日本軍。撤退と言う言葉は使いませんでした。向かう先を替えて転戦と称していました。それと同じように逃亡でなく、布教活動の拡大と称すればイメージがガラッと変ります。
美濃を移っていて、最後が旧春日村です。



時々山に登ります。
かつて登った山。西美濃の国見岳の時、このような看板を見かけました。
その時は気に留めませんでした。





今日、出て来た場所の中で「鉈ケ岩屋」が有りました。
山に登った時に、この場所を訪ねはしませんでしたが、かつて見かけた看板の場所と、説明が有った場所が一致する事が面白いと思いました。
今でこそ、道が有り、この場所へは行き易いですが、当時。相当な困難が伴った事でしょう。
教如は美濃から近江へ移って行ったのでしょう。

コメント
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