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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  「各務原の戦争遺跡」

2015年07月24日 23時08分23秒 | ヒストリー各務野会

今日は第4金曜日でヒストリー各務野会の日でした。
テーマは「各務原の戦争遺跡」で、講師は河野克暢先生です。

今日は7月24日です。ニュースで愛知県半田市が、70年前に空襲を受け、慰霊祭を行ったと報じていました。今の時期。7月は各地が空襲を受けた時期です。私たちの各務原市は6月22日に大きな空襲を受け、この日を「平和の日」としています。


これから講義が始まる所です。
河野先生には、日頃私たち、ヒストリーの会を指導者としてご指導いただいています。



ピンポイントを使っての講義です。
岐阜が空襲を受けた状況を数字で説明しています。



こちらは各務原市の旧川崎航空機が空襲を受けたときの説明パネルです。
本社も爆撃を受け、酷い姿となっています。この本社ビルも近いうちに建て替えられるようです。
となると、また1つ戦争遺跡が消えることとなります。
中央の写真は、1トンか2トンか。
大型の爆弾が投下され爆発したシーンです。



休憩時間。
パネルに見入ります。



こちらは戦争遺跡で、コンクリート部分が残っています。
下は寺院の鐘ですが、金属の供出で寺の鐘を出してしまい、コンクリート製の鐘となったものです。



市内の戦争遺跡の地図です。
各務原市内には陸軍の飛行場や航空機工場があり、爆撃の目標とされました。
掩体壕(エンタイゴウ)や防空壕が今も残っています。


今日の出席者の中で戦争を体験した年配の方が見えました。
講義の雰囲気は堅苦しいものでなく、自由に発言が出来ました。
そして、年配者の口からは自分の体験が語られました。ご自身は国民学校に通っていて、空襲警報が発令されると、学校から真っ先に自宅に向かったそうです。そして、裏山に登り、南の方角に爆弾が落ちるのを眺めたのだそうです。
空襲からの避難は、始めは避難訓練だったのだそうですが、やがて、本当の避難となったのだそうです。そんな、空襲が幾度も有ったと話していました。
河野先生もご自身の体験を話されました。
8月15日の玉音放送の時。聞いていた先生は国民学校の1年生だったそうです。自分の周りは、みんな女の人だったのだそうです。そして、みんなが泣いた。訳もわからずに自分も泣いたと話していました。

戦争遺跡の多い各務原市です。
色々の事が聞けました。

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