朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

「ああモンテンルパの夜は更けて」

2016-06-15 | 国内各地の風物

車での旅の途中で、天竜峡に立ち寄りました。中央自動車道を諏訪から南に下り、恵那山トンネルの手前に、「三遠南信自動車道路」が分岐しています。その先には何があるのだろうと気になっていたのです。

道標に従って観光案内所に行くと、こんなやや意味不明の「てん吉くん」が出迎えてくれました。なんでも、ゆるキャラを作ればいいのでしょうかね。

こちらのしめ縄風、龍の姿のほうが私には風情を感じましたが。

案内所で散策コースの地図をもらって説明をうけて出発。

川沿いの公園で見つけた真っ赤なヘビイチゴです。

ドクダミの群生。雑草としては相当に根強くて以前住んでいた家の裏庭で繁茂して困りました。薬草にはなるようですが、現代医学の薬品が自由に手に入る時代ですから。

サツキが最盛期でした。

ホタルブクロ。

渓谷が見えてきました。

龍角峯(りゅうかくほう)と名付けられた名所です。天竜川の深淵に住む龍が天に昇った時、崖に突然できた「龍の化身」と伝えられているそうです。

吊橋がかかっています。渡ってみると、結構揺れました。

薄緑色の川面が美しい。

数年後にはこの下流に大きな橋がかかり、南信州と三河を結ぶ高速道路が延びる予定です。

もっと先の2027年には、この近くにリニア中央新幹線の長野県駅ができるので、多くの人で賑やかになることでしょう。

川辺の公園にはアザミの花が咲き、

ガクアジサイのピンク色が冴えていました。

その公園で見つけた石碑です。

昭和27年(1952年)に渡辺はま子と宇都美清の歌でヒットした歌の記念碑です。

この歌を作詞した代田銀太郎は当時フィリピンの刑務所に収監されていたB級戦犯死刑囚で、作曲も同僚の死刑囚でした。戦争が終結して7年も経過していたにもかかわらず、59人の死刑囚を含む109人の戦犯たちがモンテンルパに収容されていたことを知った渡辺はま子は現地刑務所にお香を送りました。それが契機となってこの歌が作詞作曲され、ついに渡辺によってレコード化されベストセラーとなります。その後、この歌の力がフィリピンのキリノ大統領を動かして、BC級戦犯全員の恩赦が決定され、横浜港に帰還しました。

当時の軍隊組織の中で上官命令による現地民虐待など本人の良心だけでは忌避できない状況で引き起こしたことで「戦犯」判決を受けた人も多いと思います。

作詞の代田銀太郎の出身地がここ飯田市です。

その曲の演奏と、より詳しい解説は下記をご覧ください。

”二木紘三のうた物語” http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/01/post_5fde.html

 

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