木津川をさらに東の方角に遡ると笠置山があり、山頂に笠置寺があります。JR関西線の笠置駅がある集落から、すぐに急坂を登っていきます。車のすれ違いに困る狭い道幅でした。
南北朝に別れる発端となった後醍醐天皇にまつわるエピソードで有名です。時の鎌倉幕府が後醍醐天皇に退位を迫ったので、天皇は倒幕の準備をしました。ですがその密議が漏れてしまったので天皇は都を逃げ、三種の神器を保持してこの山に立てこもりました。標高は289m。

山頂には巨大な岩や断崖が多く奈良時代に大きな弥勒磨崖仏を刻んで本尊としています。ご本尊はこの正月堂の左手にありました。
※奈良の東大寺に、二月堂、三月堂がありますが、正月堂はここにあるとか。・・

後醍醐天皇は圧倒的な幕府軍の攻撃を受けて捕まって京都に連れ戻されましたが、その時の戦火によってこの懸崖仏の彫刻はほとんど消滅しました。ですが現代の高度なセンシング技術によって石の表面にある微細な線が発見され、そのデータによって復元図がつくられていてお堂に収められています。
さらに奥に進むと、同じくらい大きな懸崖仏があります。

これも奈良時代の作です。こちらは戦火にあわなかったようで、きれいにの線虚空蔵菩薩像が残っていました。

山頂を巡って一周する歩行コースがあるので、かなりアップダウンはあるのですがその路を周りました。

胎内(たいない)くぐり、といっても楽々通れます。

木津川の上流、東側の眺望です。これを遡ると、伊賀国に到達します。

「ゆるぎ石」、高さ1m幅2mくらいの大きな石ですが、実際、端を押してみるとかすかに揺らすことができました。敵を攻撃するため、この岩を落とす作戦でした。
※この途中に「たいこ石」がありました。今調べてみると、その大きな石の何処かを手のひらで叩くと、ポンポンと鳴るそうです。ああ、やりそこねた。

後醍醐天皇の行在所遺址です。ここで詠んだ歌が彫り込まれた碑があります。

眼下は木津川の西方向、「貝吹き石」からの眺望です。川原の広くなった場所は夏のキャンプ場になり、川での水泳、バーベキュー、花火など手軽なレクレーションの場所です。

この梵鐘は鎌倉時代の作で、最下部に6つの切り込みを入れて六葉形にするのは中国鐘に見られる形式であり日本の梵鐘には珍しいとのことです。

「笠置形燈籠」、平安時代に笠置寺参道に備えられていた燈籠でしたが、実物が途絶えてしまい文献でだけ存在が知られていました。インターネット時代になり、詳細資料の発見を呼びかけたところ、岡崎市の石材業者組合が発行した本に形式や寸法が記述されていたことはが分かりました。それに基づいて復元し作成したものです。
※このお寺の和尚さんは、twitterで毎日、情報を発信しておられます! ネット時代です。

門前に、きじ釜めしを売る茶店があったのですが、この日は休業していて食べられませんでした。残念。
南北朝に別れる発端となった後醍醐天皇にまつわるエピソードで有名です。時の鎌倉幕府が後醍醐天皇に退位を迫ったので、天皇は倒幕の準備をしました。ですがその密議が漏れてしまったので天皇は都を逃げ、三種の神器を保持してこの山に立てこもりました。標高は289m。

山頂には巨大な岩や断崖が多く奈良時代に大きな弥勒磨崖仏を刻んで本尊としています。ご本尊はこの正月堂の左手にありました。
※奈良の東大寺に、二月堂、三月堂がありますが、正月堂はここにあるとか。・・

後醍醐天皇は圧倒的な幕府軍の攻撃を受けて捕まって京都に連れ戻されましたが、その時の戦火によってこの懸崖仏の彫刻はほとんど消滅しました。ですが現代の高度なセンシング技術によって石の表面にある微細な線が発見され、そのデータによって復元図がつくられていてお堂に収められています。
さらに奥に進むと、同じくらい大きな懸崖仏があります。

これも奈良時代の作です。こちらは戦火にあわなかったようで、きれいにの線虚空蔵菩薩像が残っていました。

山頂を巡って一周する歩行コースがあるので、かなりアップダウンはあるのですがその路を周りました。

胎内(たいない)くぐり、といっても楽々通れます。

木津川の上流、東側の眺望です。これを遡ると、伊賀国に到達します。

「ゆるぎ石」、高さ1m幅2mくらいの大きな石ですが、実際、端を押してみるとかすかに揺らすことができました。敵を攻撃するため、この岩を落とす作戦でした。
※この途中に「たいこ石」がありました。今調べてみると、その大きな石の何処かを手のひらで叩くと、ポンポンと鳴るそうです。ああ、やりそこねた。

後醍醐天皇の行在所遺址です。ここで詠んだ歌が彫り込まれた碑があります。

眼下は木津川の西方向、「貝吹き石」からの眺望です。川原の広くなった場所は夏のキャンプ場になり、川での水泳、バーベキュー、花火など手軽なレクレーションの場所です。

この梵鐘は鎌倉時代の作で、最下部に6つの切り込みを入れて六葉形にするのは中国鐘に見られる形式であり日本の梵鐘には珍しいとのことです。

「笠置形燈籠」、平安時代に笠置寺参道に備えられていた燈籠でしたが、実物が途絶えてしまい文献でだけ存在が知られていました。インターネット時代になり、詳細資料の発見を呼びかけたところ、岡崎市の石材業者組合が発行した本に形式や寸法が記述されていたことはが分かりました。それに基づいて復元し作成したものです。
※このお寺の和尚さんは、twitterで毎日、情報を発信しておられます! ネット時代です。

門前に、きじ釜めしを売る茶店があったのですが、この日は休業していて食べられませんでした。残念。